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綺麗事と一蹴するかどうかは涙腺に聞いてみる -Love is Here from JanneDaArc-

あなたは楽曲を聴いて泣くという経験をしたことがあるでしょうか。

カラオケで歌いながら思わず感極まってしまったことがあるでしょうか。

ただただ大衆音楽と聞き流してしまっても仕方のないJ-popではありますが
私はそこに紡がれた歌詞に感銘を受けてしまうことが間々あります。

たいていこういうのって自分だけが感じてることであって
他人にとってはとるに足らないことではあると思うんですけどね。

それでもこうして涙の味を知るたびに
やっぱり音楽って好きだな、
もっと他の人も音楽の歌詞に注目してほしいな、と思うのです。

特に思い起こすたびに涙腺を刺激してくれる、
自分にとってほしい言葉が詰まっている楽曲を
1
曲紹介させてくださいませ。


Love is Here / Janne Da Arc


まだ届かなくて もどかしくて
こんなに傍にいるのに
口づけても 口づけても
届かない…

一見ラブソングのように見えるかもしれませんが
歌詞で使われる「口づけ」が何も接吻のことだとは限りません。
相応の他人への優しさだと私は捉えています。

身近で困ってる人がいる、それなのに
言葉が届いていない、
気持ちが伝わっていないと感じることはありませんか?

それに対してのもどかしさが、ド頭のサビ歌い始めで奏でられます。

その証拠が、続くAメロで紡がれています。

君はなぜ その全てを見せはしない
どれくらい強くなれば 君を救える?

悩みというのは本当は簡単に人には話せるものではありません。
悲しい思い出であれば尚更のこと。
たやすく口にできるものであれば、
それは実はそんなに深く懊悩していないと思うんです。

人波の中 孤独に溺れたんだね
君が望むなら 差し伸べ続けるよ

そんなあなたの力になりたい。
助けを欲しているのは気づいているから、この手を差し伸べ続けるよ。
それを"きみ"が望んでいると信じて

まだ届かなくて もどかしくて
こんなに傍にいるのに
抱きしめても 抱きしめても
心に届かない…
一人で泣かないで ほら瞳閉じて感じる
暖かな手を 掴んで離さない…

私が元気だった頃は周りの友人に同じ気持ちを抱いていました。

君が何で苦しんでるのかはわからない。
だけど触れた手に感じるぬくもりはまだ生きたいと叫んでいる。
その声が聞こえる限りは、この手を離すつもりはないよ、と。

そんなに強くはないから、微力かもしれないけれど。

眠れない静かな夜 月のシルエット
哀しみを隠したまま 君が笑った

繰り返しになりますが
悩みというのは本当は簡単に人には話せるものではありません。

もっと嫌な言い方をすれば、憐れみならやめてくれ
君にいったい何がわかるんだ、この苦しみはきっと共有出来ない
特に今のうのうと過ごしてられるあなたには!

当事者にとっては少なからずそういう拒絶反応は起こるものではあります。

私も今、心のどこかで思っていることです。
いま心の病気を患っている私の気持ちは、私以外の人にはわからないと。

防衛本能のように自嘲気味に釣り上げた口の端は、
上手く弧を描けているだろうか。

傷跡がまだ 痛くて泣いてたんだね
君が望むなら 呼びかけ続けるよ

伸ばした手が傷に触れてしまうなら、せめて声をかけさせておくれ。
1番の歌詞の変化に語り手の思いやりが見えます。
あくまで"きみ"が本心で望んでいるのであれば

見せかけじゃなくて 夢じゃなくて
ほんとの君に逢いたくて
口づけても 口づけても
心に響かない…
一人で泣かないで ほら瞳閉じて感じる
僕の声 君を呼んで すぐ傍に…

強がっていることって、本人は気づいてなくても
往々にして親しい人には気づかれているものです
だから、Aメロにあった見せかけの笑顔が悲しく映る。

"差し伸べ続ける"から”届かない”
”呼びかけ続けるから”から”響かない”

この対比が、きちんと歌詞を組み立てていることの証拠ですね。
同じ言葉を繰り返したほうが歌うのも覚えるのも楽なのですが
そうじゃない辺りに私は作詞の美学を感じます。


~間奏~


誰かに逢いたいのに 一人になりたかったんだね
望まないとしても 差し伸べ続けるよ

先程から太字で示していますが
このBメロの変化がこの歌詞の特筆すべき所。

とくに三度目の登場で「望まないとしても 差し伸べ続ける」
とあります。

優しさは時として偽善と呼ばれ忌避されます。
これまでは"君が"望むならと、理念を相手に委ねていますが
こちらでは"自分が"望むことと、語り手の意思表示に変わっています。

これが"ほんとの優しさ"、愛ではないでしょうか

口では言うのです。一人にして。ほっといて!
でも、ほんとうは――。

素直になれない、そんな凍えた心をこじ開けてくれるのは
傍に居続けた人にのみ与えられる特権なのです。

ちょっと優しくしたくらいでいい気にならないでよね。
そんな簡単に解決するなら悩んでないのよ。
誰もこの辛さはわかってくれないの。

ハリネズミのジレンマ、ではありませんが
口をいた言葉で相手を傷つけてしまうこと、ありますよね。
せっかく優しい言葉をくれたのにそれをはねのけてしまう。

それでも、差し伸べられてくれる手が、まだそこにあったのなら。
その事実に気づけた時、ようやく光明が差すのでしょう。

まだ届かなくて もどかしくて
こんなに傍にいるのに
抱きしめても 抱きしめても
心に届かない
一人で泣かないで ほら瞳閉じて感じる
温かな手を掴んで 離さない…

少し技術的な話になるのですが
本来こんなふうにサビを全部言葉を変えて作成すると
単純に作業量も倍になりますし
歌うとき覚えづらくてしょうがないのですが

それでもメッセージ性や作品性を重視して
全部違う歌詞にするという手法を用いるアーティストがたまに居ます。

つまり物語性を持たせているというわけですが
私はそういう作品が大好きです。

別に歌詞の繰り返しを手抜きだと評するつもりもないのですが
必要に応じて歌いにくさをも超越して紡がれた歌詞、
素敵じゃないですか?


そしてこの『Love is Here』が
今とても弱っている私の心に響きます。

聴くたびに泣けますわ……
言葉選びはあくまで普遍的ですが、込められたメッセージが強い。
この気持ち、少しは伝わりますかね……?


Afterword

JanneDaArcについても月一くらいで書いてこうかな。
一番筆が進むし。笑

この曲は、実は同バンドの『心の行方』のアンサーソングとなっています。

ひたすら内省的で、自分の殻に閉じこもりまくってます。
そりゃあいくら呼びかけても応えないよなぁ……
ってくらい塞ぎ込んでいるので
『love is Here』の語り手の苦労がよくわかりますね。

でも、それでも傍に居たいと思えるほど、きっと大切な人なのでしょう。

私にも、いるなぁ。
どうしようもないほどダメダメだけどほっとけないやつ。
かつてわたしも差し伸べ続けた相手がいます。

もしかして、君もそうやって私に声をかけ続けてくれているのかしら。

まだその手を掴み返せる握力は喪失したままだけど
いつか顔を上げたられたら、そのときはまたかまってほしい。


その後の物語は、前を向いたときに広がり出すものだから
それまではどうかこのままそっとしておいてください。

この胸の痛みの反動で、私はまた笑うから――


望まないとしても 差し伸べ続けるよ

この部分に100%の共感を覚えながら。


次回の更新は2/28(月)です。

昨日、その"ほっておいてはくれない"知人と会ってきたので
そのことについて書いてみようかな。
――あ、今月まだアレ書いてなくない?
忘れてました……アニソン作曲家を紹介します。

よしなに。



最後まで長文お読みいただき誠にありがとうございました。 つっこみどころを残してあるはずなので 些細なことでもコメント残してくれると嬉しいです!