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部落問題、雑感。

現在、近くの書店には、被差別部落問題のコーナーがほとんど無い。

だが、差別が消えてしまった、わけではない。

私は、義務教育の同和問題は受けた記憶を忘れてしまったが、被差別部落と呼ばれ

る土地に対して、特別な視点を持つようになってしまった。

そして、妹が、その土地のヤクザの男性と暮らしてから、性格が荒々しくなってし

まったことで、同和問題や、人権、被差別部落問題に関心を持つようになった。

差別はいけないと基本的に思っている。

私も精神障害者として差別を受けたこともあるし、気持ちはわかっている。

しかし、同和問題の本を読んで、被差別部落問題は、清いと穢れという宗教的な問

題に食い込んでいるように感じた。

同和地区の人々は、他の人が嫌がる、牛肉や鶏などの解体の仕事、などの産業の仕

事を生業にしていくしかなかったのだが、同和地区の人の仕事として聞いているの

は、人の死体の焼却場、犬や猫を捕まえて殺傷処分する仕事など。やはり普通、嫌

がられる仕事(昔に聞いたことなので、不正確かもしれない)が生業だと聞きまし

た。

どの仕事も、私たちには、必要な仕事です。食肉の解体は、肉好きの私には直結し

ている仕事です。いつも、動物の血を洗って、私たちに提供してくださっている、

尊い仕事です。

私の友達の部落問題に詳しい、共産主義者のAさんに、藤田敬一著『同和はこわい

考』阿吽社を紹介してもらいました。

昔は、人権問題が語られた豊かな時代があって、反差別論の優れた本が出た。今

は、書店には、反差別論のコーナーはない。人権問題の貧しい時代だと、友達のA

さんは言っていました。

差別がなくなったわけではない。私の親戚も差別的です。

1月に、病院に入院して、『エッター』と頻繁に叫ぶ精神病者の老人がいた。

これほど、日常的に、部落問題は健在している。人々の意識に上ることが少なくな

ったが、部落に対する差別意識が消えたわけではない。

私は以前こういう短歌を読んだ。

理由なき部落差別の闇みすえ我が胸を打つ橋のない川


私は、宝塚映画の「橋のない川」を観て、号泣した、部落差別には理由がない。

別に部落の人に会った事もないのに、いじめられた事もないのに、差別する。

その人の闇が、私には問題だった。


これは、私が初めて書いた部落についての問題です。これからも書いていこうと思いますが、タブーの言葉も載せています。載せないと伝わらないことがあるからです。基本的には差別は反対ですが、私も差別しているかもしれません。どこから差別で、どこから差別ではないのか、それはわからないということです。



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