見出し画像

英花伝書ー植物と人間の文化ー植物と人の生死#4

私が現在描いている作品は植物ー花ですのでそれに関する覚書をまとめます。

なぜ花を題材にするか?

花の存在はわたしたちを慰めてくれる。漢方にも使われるし、アロマテラピーとして実際に癒してくれる。

花そのものが芸術だ。花道、フラワーアレンジメント、美術作品などに使われてきた。

心象のなかの花、心の世界の花。夢の中にも出てくることがある。

花の美しさに心を託す。

花が枯れたときの心の状態、可哀想という心。

花の死の儚さ。
色褪せて散りゆく花を惜しむ気持ちー誰にでもある憐れみ。

死者への弔いの花は、花の生贄でもある。

植物の生から死は人と共にある。葬式の花の死の象徴。

『昨日の薔薇はただその名のみ むなしきその名が今に残れり』
             むなしきその名を我らは手にする』
       クリューニー教団修道士 モレーのバーナード

この言葉はホイジンガの「中世の秋」に出てきて、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」に出てくる言葉だが、薔薇はイエス・キリストを象徴し、我々の集団には名前しか残っていない。キリスト教は名前だけを伝えた。
イエスの言葉は守られていないということを表している。
イエスの思想については別のところで書きます。

あたり前のことだが植物から色が出て染料になる。代表的な色は藍色、藍染は日本人の基本的な色、ジャパニーズブルーだ。
植物の葉、実から、飲み物にもなる。コーヒー、紅茶、緑茶、抹茶は日本人を代表する茶葉だ。

人は植物から恩恵を受けている。

コーヒー、紅茶には人間の文化がある。
抹茶には茶道がある。侘び、寂びなどの美意識を伴った、陶器、茶道具、建築がある。

私が植物を描く理由は、装飾美ではなく独立した芸術として存在させることです。

植物は古代から宗教と共にあった。

古代エジプトにおいて、ミイラ作りに医師がハーブ(花)を使用していた。古代ではミイラ作りのことを香詰め保存と呼んでいた(旧約聖書、創世記から)

死者を弔う花はいつからあったのだろう? いつから始まったのだろうか?
考古学的な調査は想像の域を出ない。どれだけ科学的であったとしてもファンタジーだ。

仏教では死者への弔いの花は菊、白百合、蘭などの白い花。
仏陀は、蓮の花と結び付けられる。阿弥陀経に蓮華について書かれていて、天国に咲いている花だそうです。
キリスト教ではイエス・キリストは赤い薔薇、マリアは白百合を表す。

百合=キリスト教の象徴
キリスト教では聖母マリアの持ち物(アトリビュート)になっている。純潔、謙虚さ、優しい心、あるいは美のシンボルになっている。

神道は榊の葉が使われる。天皇家は菊の花。

植物には人間の思い、情感、悲しみが込められている。
とても大切なもので、共存関係にある。
家、建築も植物でできている。

私は花、植物を通して、自分が自己表現できたらいいと思っています。
今回はここで書き終わります。

<参考文献>
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ー花




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?