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#61 正しいを我と共に押しつけると苦になる

いきなりですが、正しいって何でしょう?
これはみなさんそれぞれ、回答が違うでしょうし、
日常でも、たくさん使われている言葉です

仏教においても、その根幹こんかんの教えに、八正道はっしょうどうがあります
八つの正しいが並んでいます

ここでは詳しく書きませんが、かんたんに言えば、
生きるということは、
目で観たり口で話したり、身体を使ったり、考えたり、
こうしたことの積み重ねです

このそれぞれの積み重ね、つまり習慣を、
悪いものから善いもの(正しいもの)にしていく、

悪い習慣で生きていると、悪い結果を生みます
なので、それを善い習慣に変えていき、身に付けることで、
善い結果を生んでいこうというのが、八正道はっしょうどうです

そして、正しいと悪い、善い悪いというのが、
時として私たちは、勘違いをしてとらえることがあったりします

よくありがちですが、真面目で誠実な方が、真面目であるからこそ、
正しいということをつらぬこうとしてしまう、
そんなことが、よく見られたりします

仏教では常々、悪しき事から離れ、善き事を為すと言っています
これは非常に重要な事です、しかし仏教というのは、
こうした良い話を聞いて終わり、ではないです
私たちの毎日の実践なんです

私たちが毎日、何を思い、何を観て、何を話し、何を行動するか、
これらの実践なんですよね

そして、悪しき事というのは、下手という意味です
善き事というのは、上手という意味です、たくみとも言いますね

さらに、悩ましい事ですが、
せっかく良い事を伝えようとしているのに、
違う解釈かいしゃくをされることがあります

八正道はっしょうどうにしても、八つも正しいと出てくるので、
それらをどうとらえるのかも重要になってきます
もちろんそれぞれに定義ていぎはあります

ですが、中途半端にその翻訳ほんやくされた日本語だけを見て、
勝手な解釈かいしゃくをしたり、さらにはそこに、
我までも結び付けて解釈かいしゃくしたりということになると、
タイトルにも書いたように、苦しみに変わります

さて、このことでよく話題になるのが、しつけだと思います
これはご覧の通り、身に美しいと書いてしつけです
これは漢字ではありますが、日本で作られた国字こくじです
仏教の習気じっけ、つまり習慣を意味する言葉ですが、それが語源になっています

このしつけは、よく親が子どもに、というイメージですが、
私は前にも書いたと思いますが、子どもに対してというより、
大人にこそ、このしつけというものをきちんと理解してほしいと考えています

みなさんも当然、子どもの時がありましたから分かると思いますが、
子どもは、とっても、その目や耳など感覚や身体すべてを使って、
大人を観ています、どの子どももそうです

だからと言って、放っておいて良いということではありませんが、
私は、今こそ子どもよりも、大人に、
きちんと大人になってほしいという思いです

しつけは、身に美しいと書きます
人間は関係性の中で生きていますから、
私たちが普段、ごく自然に行動している、この行動が、
周りの人、他人であっても、迷惑をかけることなく、
自分自身も心持ちが良い振る舞いができる、
これが、しつけだと思います

ですから、しつけということ自体はとても素晴らしいことですよね
新品の着物でも、洋服でも仕付け糸されていると、
とっても仕立てが綺麗ですよね、人間だってそうです

しつけは決して悪いことじゃないです
問題なのは、そこに、つまりエゴを結び付けてしまうことです
自分の言う事を聞かせ、言いなりにするといった、
そういう素直というか従順じゅうじゅんな人を作るツールとして、
しつけを使ってしまうことが起こりやすいです

他の人をコントロールする言い訳として利用するのではなく、
本来伝えたい事を、最も相手に効率良く効果を発揮するように、
伝え方を考えなければいけないと思います

確かに正しいことは、正しいんです
ですが、自分の中だけを基準にして伝えるだけでなく、
また、道徳的な意義だけでなく、
仏教での教えのように、下手なのかたくみなのか、
ここだと思います、しつけが悪いんじゃないんです

自分のと結び付けて、自分が良かれと思って言った事、
これはやはり下手な結果になります

私も娘がいる父親なので、娘の為に、声を荒げて言うこともあります
声を荒げるのが、必ずしも悪いことではないとも思います
動物であっても、子どもが危ない時はものすごい声を出します
やはり、親ですから感情だけじゃなくそういうことってありますよね

親であるがゆえに、どうしてもエゴが出てしまい、
自分の言う事を聞かせようとしてしまいます
きっと親の経験がある方はそうだろうと思います

大事な事は、やはり私たちは、大人になっても、親を経験しても、
いろんな人生でも、完璧な人っていないんです

あなたの言っていることが、正しいのか間違っているのか、
そこだけでなく、その時一瞬ではなく、
長く観て上手なのか下手なのか、ここも考えてみてほしいです

結果として子どもにちゃんとしつけをするというのは、
親の責任でもありますし、何よりその子どもの助けになります
社会の中で、堂々と振る舞うことができます

それなのに、伝える側の親がたくみでないと、
せっかく良い事を伝えようとしているのに、
聞いている子どもたちが嫌な気持ちになってしまったりします
みなさんの家庭はどうでしょうか?

多くの家庭がこのようになってしまうのは、
親の想いとかそうじゃなく、下手さなんですよね
なかなか上手に、たくみにできないということなんです

ですから、この現代、私たち大人が変わらなければいけないです
大人自身がきちんと学んで、上手になりましょう
まさに、大人のしつけです

それができるのが、仏教の教えであり、
下手を辞めて、たくみに生きる、そして自分を成長させて、
周りのたくさんの人と調和して生きていく、その智慧ちえなんです

せっかく縁があって、一緒に暮らしているんです、
あるいは、一緒に同じ時間を過ごしているんです
そして、より良くしようと思っているんじゃないですか、
それなのに、伝え方が下手であれば、そこに苦しみが生まれてしまいます
苦しみが生まれるぐらいなら、離れていた方がまだましです

ぜひこの正しいということを、中途半端でなくきちんと学んでほしいです
何度も言いますが、このいろんなことが発達した現代です
私たち大人が変わっていきましょう
そんなあなたを、子どもたちはちゃんと観ています


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