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常に有限で条件付きの中の自治と自由

クラス会議や自治的学級づくりにおいて、よく聞く悩みについて。

様々なものがあるが、要約すれば
「子どもたちをなるべく自由にして、意見を尊重したいが、それは怖い、うまくできない。」
というものである。

この意見は、一面間違いなく正しい。
だからこそ、自治的学級づくりを志向する際、ここに悩むのは必然である。
子どもに無条件な「自由」を与えて「意見の尊重」を無限に保障すれば、教育は一切成り立たなくなる。

一番大切な結論を先に述べる。

何でも「無条件」「無限」では、ダメなのである。
人生は、命そのものである時間を筆頭に全て「条件付き」で「有限」である。

ここが肝である。

例えば「自由の翼を広げて」「無限の可能性」などというと美しく聞こえる。
しかし、実際にそれを堂々と掲げることができる人間自体が、既に条件に恵まれていることがほとんどである。
以前にも記事にしたが、ごみ山「スモーキーマウンテン」で孤独に生きる子どもたちにそれが保障されているはずがない。
生活に最低限の保障がなされた上で、やっと0から上のラインを考えはじめることができる。

日本で普通に小学校教員をやっていると、ここに気付きにくい。
確かにきつい環境の子どもに出会うことはあるが、自分自身がそうである訳ではない。
また、ごみ山で一人で暮らす子どもほどひどい状況というのは、まずほとんど遭遇しない。

だからこそ「子どもの権利」や「自由」などが問題になるのである。
大人の方も明日の住む場所も食べ物すらもなく生命維持すらギリギリという状況であれば、そこに意識がいく余裕はない。

一昔前、子どもたちは学校において「権利の主張」をしなかった。
そんな常識も知識も、意識も、そして余裕もなかったからである。
子どもの権利や人権が強く意識され始めたこと自体、ごく近代のことである。

今は違う。
一昔前に比べ、国民の生活水準は格段に上がった。
子どもたちはネット記事やSNSを通して、世界中の様々な情報にふれている。
「どこそこの国や地域の子どもたちの学校生活はいい」ということも、その逆の場合も知っている。

子ども自身に権利意識が強い。
「自分たちの自由にしたい」という思いもある。

だから今、子どもたちを紐で縛り付けてコントロールしようとしても、当然悪い結果しか生まない。
ある程度の条件付き「自由」を与えて、ぶつかりながら学ぶ必要がある。
それは自由の「枠組み」である。
「この枠の中で自由にしてよい」ということである。

これは、何も不自由なことではない。

国から国に異動するのだって、税関を通ってチェックを受け、そのためのパスポートがいる。
安全保障のために必要な制度、制限である。
当然、無条件ではない。
一つの国に「自由」に暮らすことだって、国境や制度の枠組みの中なのである。

学校や学級も同様である。
どんなサイズの「枠組み」を与えるかである。
無限・無条件はいけない。
集団のモラルや能力を見定めて、有限で適切なサイズの枠組みを、どんな使用条件で与えられるか。
ここがカギである。

またこれは「与える」と言って差し支えない。
こちらのもつ権限の一部委譲である。
極論、権限を一切委譲せずに、全てを大人が支配しても学級集団は成立するのである。
どんな理由をつけても、起きたことの最終責任は全て与えた側にあるということは変わらないのである。

そこを敢えて与えていくのが「自治的学級づくり」なのである。
無条件ではないとはいえ、いきなり大きすぎる枠組みを与えても、うまく成立しない。
段階を経て、徐々につくるのである。

なるべく子どもを自由にしたい。
その通りである。
なるべく意見を尊重したい。
その通りである。

だからこそ、どこまで「自由」にするか、明示する。
どこまでを「権利」として認め、同時に「果たすべき役割」も明示する。
例えば子どもが何かのリーダーに立候補したからには、指図するだけでなくメンバーの面倒も見なければならないということを教える。
権利を濫用して威張るばかりで役割を果たさないものはリーダーとはいえない。

授業中に「立ち歩いてもよい」と言うからには、他の学習妨害はしないという条件が必ず付く。
「学び合う」を成立させたいのなら、机に縛りつけておくことはできないから、この権利は必然となる。
「立ち歩ける自由」という権利と「学び合う」という果たすべき役割を両立させるという枠組みである。

権限の一部委譲は、怖いことである。
期待を裏切られる可能性が大いにある。
先の例だと、「権利の濫用」で授業中に無駄に歩き回ったりふざけて遊んだり、他にちょっかいを出す子どもが出る可能性がある。
しかし、そのリスクを背負ってでも、一部でいいから委譲していかねば、学級集団は教師依存から脱却せず、成長しない。
一部間違った子どもが出ても、それよりずっと多くの子どもは、与えられた権利を上手に適切に活用し、自治を学ぶはずである。

『不親切教師のススメ』
でススメている主張の肝は、まさにこの点にこそある。https://www.amazon.co.jp//dp/4908983615

自治的学級づくりにおける一部権限委譲は、間違いなく「有限」で「条件付き」である。
ここを強く自覚して臨めば、無理に縛り付けたり、逆に無理に自由を求める姿勢から抜け出せるのではないだろうか。


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