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統一教会員の間違い③ 「統一教会の責任者だからアベル」ではない

統一教会員の間違い②で「アベル型」の人と「カイン型」の人が一つになる、という事が重要であり、それこそが「条件物」であったと説明しました。じゃあ、世の中の人が統一教会の「アベル」と一つになれば問題が解決するんだ!と思った統一教会員もいらっしゃると思います。
しかし、です。文鮮明先生はそのようには語っていません。それを下記の内容で説明したいと思います。

牧会者の道
第五章 牧会者と食口指導
第二節 主体・対象とカイン・アベル
二 カインとアベル
3 誰がアベルで誰がカインか
より抜粋

今日統一教会の信徒の中に「お、私が先に入ってきたのでアベルであり、あとで入ってきた人はカインだから、私に侍りなさい!」と言う気違いたちがいます。そういう気違いたちが多いのです。アベルとはどんな者がアベルですか? 神様のみ旨どおりにする人がアベルです。より公的な人がアベルです。これを知らなければなりません。カインは何ですか? サタン側です。サタンは何ですか? 自分を考えるところから出発するのです。アベルは自分のことを考えず、神様を考えるところから始めるのです。これを知らなければなりません。
先に入ってきたとしても、自分の欲心を振るう人はカインです。自分の考えが先に立つ人がカインです。そういう人は追放しなければなりません。先生はこういう原則で人に対します。どんなに長くなった食口でも、その心根が自分のためになるときは目もくれません。今は仕方なく私がそのままにしていますが、時が来れば荷物をまとめて追い出すのです。先に入ってきたといってアベルではないというのです。分かりますか? 私的な基準が先に立つのがカインで、自分より公的な問題、天をより考えるのがアベルです。これをはっきり知らなければなりません。(五八―六八)


統一教会の信徒の中でどんな人がカインでしょうか? 頭を振りかざして人を使おうとする人たちがカインです。それではアベルは誰でしょうか? 責任を果たそうとする人たちがアベルです。分かりますか? (はい)。本来は先に入ってきた人たちがカインであるにもかかわらず、今日統一教会の信徒たちは、先に入ってきた者どもがアベル役をしようと威張り散らしています。それは自縄自縛することです。そういう人がどんなまねをしたとしても、原理原則どおりにやらなければ、先生は使ってあげないというのです。(四九―二一四)

カイン・アベル問題を中心として……。「私は、本部から発令された地区長であり、または教域長であり、または教区長だから、私の言葉を聞くのです」。とんでもないです。こちらは神側であちらはサタン側であるため、サタン側が自分の言葉を聞くようになっていますか? カインはサタン側なのに、サタン側が自分の言葉を聞くようになっていますか? なっていないというのです。自分の言葉を聞かせるためには三倍努力しなければならないのです。三倍努力すれば一つは返ってくるのです。それはなぜですか? 蘇生、長成を越え完成数が天のものであるから、今日復帰路程でカインを救おうとすれば三倍努力して一つが返ってくるのです。そうなっているのです。それなのにこれは伏せておいて、命令することだけ知っていて、命令を受けることを知りません。姿勢が間違っているのです。

 それでは、カインとアベルをどのように区別するのかという問題を皆さんが知らなければなりません。統一教会の信徒たちの中でも、二人の人がいればその中にカインとアベルがいるのです。どんな人がアベルでどんな人がカインかといえば、侵害を受ける人がアベルで、害を加える人がカインです。じっとしている人のところに行って意味なく「この野郎!」と一言でも言ったらカインになるのです。例えば父母の前に二人の息子がいて、大きい息子は年が上で小さい息子は年下だとしましょう。ところで、その父母の相談の相手とかすべての面において父母の代身になれる息子は長男だけだとしても、この長男が、下の息子が何の失敗もせず何の過ちもないのに、下の息子に手を挙げるなら、一遍にその父母は上の息子側に立つのではなく、下の息子側に立つのです。これが今日社会で適用される善悪の判別基準であるということを知らずにいるのです。害を与える人が必ずカインになるのです。

 私たち統一教会の信徒たちにおいて、教会のために熱心に働き精誠を尽くす人を見て、「あの人、人と違って際立ってあれは何だ」と悪口を言えば彼はカインになるのです。皆さんはそれを知らなければなりません。カイン・アベルはそうやって分かれるのです。罪のない立場で批判を受ける人、被害を受ける人は必ずアベルになるのであり、批判する人、害を加える人はカインになるのです。

さて、自分達の行動において批判されていることにおいて、反省もせず迫害だと批判する教会組織及び教会員は、果たしてアベルなのでしょうか。

自分が先に入ってきたといって自分を主張する人を、先生は使いません。そういう人を使えば間違いなく滅びるのです。そういう人たちはサタン側です。

と文鮮明先生は語られています。さて、今の統一教会の解散請求問題は、世の中が悪いからこのようなったのでしょうか。よくよく状況を判断する必要がある、と私は思います。

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