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アンサング偉人伝#4 不運の女性研究者・フランクリン

 現在では、遺伝子の元となるDNA(デオキシリボ核酸)の構造が二重らせん構造をしていることは、半ば常識です。これを発見したのは、イギリスのケンブリッジ大学にいたワトソン (James Dewey Watson) とクリック (Francis Harry Compton Crick) で、この二人とウィルキンス (Maurice Hugh Frederick Wilkins)にノーベル生理学・医学賞が贈られています。日本では医学・生理学賞と勝手に順番を入れ替えていますが、正しくは生理学・医学賞です。

 しかし、この画期的な研究業績には、一人の女性研究者の研究成果が大きくかかわっています。20世紀の中頃、イギリスの女性物理化学者であるロザリンド・フランクリン (Rosalind Elsie Franklin) は、ロンドンのキングスカレッジでX線を使ったDNAの結晶構造解析に没頭していました。彼女は何度もX線回折を試み、鮮明なX線回折画像を得ることに成功します。ワトソンとクリックは、彼女が得た高品質のX線回折画像と的確な解釈を土台として、有名な二重らせんのDNA構造を導き出したと考えられています。

 実はワトソンとクリックが見たX線回折画像には大きな問題がありました。当時、フランクリンはDNAの研究をめぐり、彼女が来る以前からDNAを研究していたウィルキンスとしばしば衝突していました。そのため、ウィルキンスはケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所に在籍していたワトソンとクリックに彼女の撮影した写真を(彼女の許可もなく?)見せてしまったのです。このことは、二重らせん構造解明の手がかりとなったものの、のちに大問題となりました。どうやら、ウィルキンスはフランクリンの許可を得ていなかったらしいのです。

 この時の事情について、ワトソンとウィルキンスの言い分は異なっています。ワトソンは、著書『二重らせん』で、ウィルキンスがフランクリンと険悪な関係に陥ったために写真を自分たちにこっそり見せた、と述べていますし、一方のウィルキンスは著書『二重らせん 第3の男』で、あくまでフランクリンのデータを閲覧する権限が自分にあり、フランクリンもそれを認めていた(?)、と苦しい釈明をしています。

 しかし、許可を得ずに故意に見せたのであれば研究の盗用に当たります。これは犯罪行為であり、研究者が一番やってはいけない事なのです。このDNAの構造モデルの確立に対して、1962年にノーベル賞が贈られるわけですが、フランクリンは称賛されることなく、ガンによって37歳の若さで亡くなりました。一説には、無防備にX線を浴び過ぎたからだと考えられています。

 もう少し詳しいことは、下の動画で説明されています。TEDの英語版ですが、興味がある方はご覧ください。近年では、フランクリンの業績が正しく見直されてきています。やっぱり、人の研究成果はどんな理由があれ、盗んではいけません。


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