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アンサング偉人伝#11 乾電池を発明した男・屋井先蔵

 今や電池の存在は、日常生活に必要不可欠です。日本人として初めて電池を製作したのは佐久間象山であると言われています。その電池は、液体式のダニエル電池と考えられています。意外と知られていませんが、明治時代に、乾電池が世界に先駆けて日本で誕生しました。その発明者は屋井先蔵やいさきぞうです。

 屋井先蔵は、文久3年(1863年)に新潟県の長岡に生まれました。彼は、明治8年に東京の時計店に丁稚として入りました。明治18年には、電池で正確に動く連続電気時計の発明に見事成功し、明治24年に特許として認められました。これは、我国の電気に関する初めての特許でした。この発明には有名なエピソードがあり、屋井が東京物理学校(今の東京理科大)の受験をした時に、寝坊で遅刻し受験できなかったことが発明のキッカケでした。

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 正確な電気時計は出来ましたが、使用した電池は液体式のダニエル電池などで、手入れが必要なうえ、冬場は凍結して使えないなどの欠点がありました。そこで屋井は、本格的に固体式の電池の開発に取り掛かりました。なお、固体式の電池を「乾電池」と命名したのは、屋井とその妻だったそうです。

 日中は会社の仕事、夜は電池の開発を続け、明治20年(1887年)に乾電池を発明しました。しかし、日本における乾電池の特許の第一号は屋井ではなく、高橋市三郎氏です。海外ではドイツのガスナー、デンマークのヘレセンが1888年に乾電池を発明したことになっています。
 明治27年に日清戦争が勃発し、ある日発行された号外で、満州において使用された軍用乾電池の大成功に関する記事が掲載されました。これまでは液体型の電池が使われていましたが、満州の寒さに乾電池だけが使用でき、「満州での勝利はひとえに乾電池によるもの」と報道されました。新聞はこの乾電池が屋井のものであることを聞きつけ、翌日の新聞にこれを書き立てました。これがキッカケとなり、屋井の乾電池は海外品との競争に勝ち、国内乾電池界の覇権を掌握するまでに発展しました。屋井は、乾電池王と呼ばれるまでになりました。
 
 しかし、屋井が66歳で急逝したあとの屋井乾電池は、残念ながら後継者に恵まれず、昭和25年に乾電池工業会の名簿から消えてしまいました。屋井の会社が現在まで存続していたら、世界に先駆けて乾電池を発明した屋井の名前を知らない人はいないと思いますが、今はほとんどの人が彼の名前を知りません。もっと広く知られても良い偉人だと思いますが、時間の経過は残酷です。

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