見出し画像

ぶったん四方山話#11 電気探査の伝統

伝統とは、ある民族・社会・集団の中で、思想・風俗・習慣・様式・技術・しきたりなど、規範的なものとして古くから受け継がれてきた事柄のことを言います。また、それらを受け継ぎ、伝えることを意味します。伝統を受け継ぎ、長く後世に伝えることは難しいことです。能や狂言、歌舞伎などは発祥当時は最先端の流行芸能でしたが、その技が数百年も受け継がれたことで伝統芸能になりました。

日本の物理探査学の伝統は、ひとりの研究者から始まりました。九州帝國大学工科大学の小田二三男助教授(当時)は、実家がお金持ちだったらしく、アメリカやヨーロッパに私費留学しました。この留学で出会ったのが、電気探査・自然電位法の測定機です。この測定機はフランスのシュルンベルジェが発明したもので、興味を持った小田先生がポケットマネーで購入して日本に持ち帰りました。

この自然電位法をきっかけとして日本で電気探査の研究が始まり、昭和13年(1938年)、九州帝國大学に日本初の物理探査学講座が誕生しました。物理探査学講座の開設以来、物理探査学講座では理論と実験、基礎と応用のバランスを考慮し、実際の現場に適用できる探査技術を提供する研究を行っています。私が所属する九州大学の物理探査学研究室は、この物理探査学講座の流れを汲んでいます。

九大の物理探査学研究室は、常に新しい手法を研究し、世界に先駆けて独自に開発した流電電位法や流体流動電位法は、地熱や石油資源等の調査において数多く適用され、高い評価を受けています。物理探査学研究室の研究テーマある、自然電位法⇒比抵抗法⇒流電電位法⇒流体流動電位法⇒流体流動電磁法の流れは、日本の電気探査の歴史そのものです。

電気探査以外の探査法も幅広くカバーし、磁気探査、重力探査、地中レーダ探査などの研究をしています。最近は電磁探査に力を入れ、地磁気地電流法(MT法)の小型探査装置の開発に注力しています。

また、物理探査学研究室の貢献は手法だけにとどまりません。小田先生は太平洋戦争中から地熱発電に関する研究を開始しますが、日本軍への鉄の徴用のため、井戸を掘るためのボーリング機械が持って行かれ、研究を断念します。しかしその研究の流れは途絶えることなく、オイルショック後の地熱開発のための物理探査へとつながって行きました。日本の地熱探査は、九州大学の物理探査学研究室が牽引したといっても過言ではありません。

大昔、電気探査を専門とする某先生から「日本の電気探査の火を消すんじゃないぞ」と叱咤激励されたことがありました。しかし、長きにわたった九大の電気探査の伝統も風前の灯火で、今まさについえようとしています。九州大学の長きにわたる地熱探査の伝統やノウハウは、恐らく10年以内に消滅することでしょう。残念な限りです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?