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日本の仏教がお葬式と深い関わりがあるわけを探ってみる その7

「先祖代々」「何々家」の正体

 で、ここで指摘したいのが、前に述べた「神」との相関なのです。

  まず、日本においての仏教の発展は、中国の文化と日本古来の文化、この融合が自然発生的に生まれていった経緯があります。
 たとえば密教が、そっくりそのまま中国から日本に根付いたかというと、その素地がそもそも密教成立とリンクしていたからだと考えられます。

 密教は言ってみれば、大乗仏教とヒンズー教との合作です。法華経や大日経の世界は、ヒンズーにおける多神教の感覚を、無数の「仏国土」の存在として理論化したものであるとも考えられるからです。

 古来から「修験道」のような雑密と、八百万神の信仰を持つ日本の風土に、見事にそのアタッチメントがはまったと考えます。
 さらに言うなら、空海がなにゆえ渡唐を果たせたのか。そこにおける経済的な利害関係も今後は非常に興味深い課題に思えるのです。
 それは、最澄が「特務官」としての派遣に対し、空海がそれとは別ルートの、民間プロジェクト留学であり、吉野の修験者集団がフィクサーで、そのエージェントが橘逸勢だったかもしれないという仮説も浮かびます。

そっちの方が面白そうなんだけどぉ

 これはちょっと寄り道しました。面白いので後に課題を譲ります。 

 あたしが言いたいのは、このように宗教や葬制まで、その時の「政治」や、「利害」が絡んでくるということです。
 このことは別講でまた言いたいですが。本来、日本に入ってきた宗教はこういった形で「融合」していったものなのです。
 そして、その構図は現在も続いているのだ。ということです。これは、長くなるので本当に別講にしますね。

 さて、「邪教許さず」という考えや動きは時の「政治」の都合によって起こります。
 大きなものは何か、一つは江戸幕府の「キリスト教禁教」です。
 そしてもう一つは明治新政府による「神仏分離令」でした。言ってみれば神道原理主義みたいなものでしたが、彼らがそもそも依代にしていたのが「尊皇攘夷」でしたから、不安定な新政府には、新たな「シンボル」が必要だったのです。

 これによって、なんと、日本中の寺院の僧侶は一斉に「還俗」させられました。日本のお坊さんが妻帯している理由はそこにあります。

そして、新しく設置された「神祇官」の元に神社組織が作られました。

 そこで、強調されたのが「家長制度」と国家神道である「祖霊信仰」という概念が浸透していったわけです。そのため、仏式の供養もこの影響を受けることになります。

 意外に思うでしょうが、春と秋にお参りする「お彼岸」は仏教本来の習慣ではありません。祖霊信仰を春分と秋分に祈る神道の儀式に由来します。

 先祖崇拝の墓石は、明治以降に始まった風習で、儒教と神道の合作であるわけです。
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