見出し画像

漂泊幾花 第3章 ~みやこわすれ~

Scene1「さくら」の終着駅にて

 特急「さくら」が長崎駅の長いプラットホームに着いたのは、まだ早朝だった。とはいえ、この季節は一年でも日が長く、およそそんな感じは受けなかったが、さすがに梅雨入りには早いものの、桜の季節をとうに過ぎた九州のこの町は、何となくどんよりとしたはっきりとしない天気だった。咲は自分の寝台から降りて、窓の見える下段の僕の寝台の中にいつの間にか入ってきていた。さっきから食い入るように窓の外をじっと見ていた。

「・・・とうとう来たわ。」
「・・うん。」
「ここが長崎かぁ・・・。」

咲はしみじみとした口調で言った。

「・・・ふじ色の旅の終着駅・・・。」
「・・・・。」

 僕は返す言葉を持たなかった。ただ、咲の旅に寄り添えたという安堵感はあった。ただ、彼女はこの町で見聞きすることでこのあとどんな旅を思いつくのか少し不安に思っていた。旅の終着駅は、新たな旅立ちの出発点でもあるからだ。

 ホームに降り立つと、咲は大きく深呼吸した。生憎の雨では合ったが、かえってそれがしっとりとした不思議な雰囲気を醸し出していた。大きな三角屋根の駅舎を出て、僕たちは目の前を走るカラフルな路面電車を前にして、どうしようか考えていた。

「浦上天主堂へ行くか?」
僕がそう言うと、咲は小さく首を振った。
「・・・まだ、早いよ、心の準備が出来てないわ。」

 咲自身、まだこの町でどこでそうしようか図りかねているようだった。どこに行くのが目的かははっきりしてるのだが、それを唐突に持ち出すほど、咲自身の心は強くはないと言うことだった。

「腹・・・減ったな。」
咲はにこっと笑って、僕を見つつ、
「先輩、京都で約束したね。」
「チャンポンか・・・。」
「そうだよ。」
「おいしいところあるかな・・・というより、あいてるかな?」
「朝早いからね・・・。」

 咲は困ったような顔をしていた。結局、あいているのは駅の中にある食堂だった。しかし、それでも良かった。海鮮の味が利いたチャンポンは、空腹の二人にはそれはそれで十分美味だったからだ。
「うふふ、先輩、おいしいね。」
「ホントだ・・・。」

 確かにうまかった。ずっとどこかアンニュイな表情をしていた咲は、ここで、本来の無邪気な若い娘の表情に戻っていた。僕は、その表情を見ながら、咲と初めて出会った頃を思い出していた。

 咲はそのころはまだ固いつぼみといってもいい感じの高校生だった。

*        *                 *

「あの・・・・」
僕は、大岡山の駅前で立ち往生していた。ひょんな事から浦上教授の娘の家庭教師に抜擢されたからだ。自由が丘の居酒屋でこともあろうに浦上教授と論戦してしまった僕は、その場で何故か気に入られ、「娘の飛鳥が今年高校受験だから是非家庭教師をしてほしい」と頼まれたのだった。

 二流大の学生に家庭教師の口が掛かることはめったにない。僕は躊躇したが、教授せんせいが、「勉強より智慧を」という言葉でとりあえず承諾した。何のことかはよくわからなかったが、教授せんせいの描いた地図はかなりいい加減で、僕自身大岡山駅からどう動いていいのかわからなかった。それで、改札そばにいた制服の女子高生に道を聞いたのだ。今から考えると、仕組まれていた感じもするが。やや栗色がかった長い髪の、色白のその女子高生は、つぶらで涼しい目がやけに印象的だった。

「はい?何でしょう?」

「大岡山四丁目1-○○っていう、浦上慎一さんという住所を探してるんです。たしか教会の近くだって聞いたんですが、どこだか判ります?」

 少女はもう一度上目遣いに僕を見つめた。そして少しくすくす笑うと、「一緒に行ってあげましょうか?」と言った。
「・・・え?、いや、・・・それは困る、教えてくれるだけでいいよ。」

 少女はそんな僕の様子を見てころころ笑った。

「・・恥ずかしいの?」
「・・・いや、そんなことじゃないけど、君に悪いから・・・。」
「あら、あたしが良いって言ってるのに、大丈夫よ。あたし、そっちの方向だし。」

「・・・いや、それでも困る。」
「えー?どうして?」
「・・制服の女子高生と歩くのは、なんか・・・。」

少女はさらにげらげら笑った。

「あはは、バカみたい、なに意地張ってるの?」
「・・・・。」
「硬派な人って、そうなのね、いいわ、あたし、あなたの10メートル先を行ってあげるからついてくれば?」
「それじゃもっとおかしいよ・・まるで変質者だ。」
「でしょ?だから、一緒にいこ?」
「・・・・お願いします。」
「・・・・うふふ、はじめからそう言えばいいのに。」

完璧にやられていた。考えてみれば、僕はこの時点で咲が好きになっていたのだ。
 そこは、駅と目と鼻の先だった。教会の前で、女子高生は「ここ」と言う仕草をした。僕が礼を言おうとすると、

「運命ね、あたし、ここの娘なのよ。残念ながらあなたの生徒じゃないけれどね。初めまして、浦上飛鳥の姉の浦上咲です。」
「・・え?・・え?」

 咲はくすくす笑いながら教会の横の住宅に消えていった。

「ただいまー、飛鳥帰ってる?素敵な人つれてきたわよ。」

 僕はこの時点で咲のことが忘れられない気持ちになっていた。それは理屈ではなかった。

*     *     *

「・・・なぁに?先輩。」
咲はいかぶしげに僕を見つめた。
「・・え?あ、何でもない。」
「先輩の顔、突然何か優しくて・・・。」
「・・・・・。」
「・・・やだ、なんか、涙出ちゃうよ。」

「・・咲と初めて出会った頃のことを思い出していた。」
「・・・えーー?、やだー。」
「・・なんで?」
「実はね・・・、あたし、一目惚れだったのかな・・。あの時。」

意外だった。考えれば、僕も同じだったからだ。

「何で、あの時先輩に出会えたと思う?偶然にしては出来過ぎよね。」
「・・運命だと思ってた。」
「運命は半分。あたし、あの日ね、学校早退して先輩のこと待ってたんだよ。お父さんにね、『智慧のある若者』って聞いてたから興味あったの。それに、彼は体育会なので詰め襟着てると思うから、すぐ判るって。」
「で、どうだったの?」
「合格・・・。あなたがあたしの道案内断った段階であなたが好きになっちゃった・・・。それにね・・・。」

咲はくすくす笑いながら続けた。

「あたしがたたみかけたら、いきなり高校生のあたしに『お願いします』なんて言わなかった?なんか、すごく素敵だった・・・。」

咲は、長崎入りしてから、ひどく素直に自分の気持ちを語るようになっていた。

以下 次号


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?