掘る人 (2)

「だいたい、百三十年くらい前の話なんですけどね」ぼくはコハマに語り始めた。そう、一世紀以上も前の話。

 そのころぼくはアルバイトをしながらロースクールに通っていた。研究者だった両親が施設の事故で早くに亡くなったので貧乏学生だったほくは、小さなシェアハウスに住んでいた。古い一軒家で、共用リビング、ダイニングキッチン、風呂とトイレがある一階、それぞれの住人の個室がある二階というつくり。そこに六人の男女が暮らしていた。

 その晩は月に一度行っているシェアハウス住人の交流会だった。この手の暮らしに重要なのは住人どうしのトラブルを避けることだ。性格が合う合わないは仕方のないことだが、なにかわだかまていることをずっと胸の内に秘めながら生活していたらどこかで大爆発を起こしてしまう。共同生活はそういうものだ。

 だからぼくらは、ちょっとした行き違いから恋愛沙汰までトラブルの種になりそうなものを種のうちに共有しそれぞれの譲歩できる点をみんなで探り納めていた。誰かが出て行くとか物理的な喧嘩になるとか大きな事態になる前に、食事でもしながら腹の底に溜まってることを吐き出してしまおうというのが、会合の趣旨だった。

 その日は大昔の映画を観るというテーマの会。

 二十世紀のアメリカのホラー映画を中心にリビングの壁に映しながら各自持ち寄った料理や酒を楽しむことになっていた。六時開始。それは憶えている。ぼくは十五分ほど遅れてシェアハウスに帰ってきた。リビングでは『死霊のはらわた』が上映されていて、住人みんながワーとかキャーとか騒ぎながらわりと真剣に楽しんでいた。

 アリコとクリコは双子で顔も立ち居振る舞いもそっくりな美人姉妹。同じ近くの私大に通う学生でいつも二人一緒。このシェアハウスのアイアドル的な存在。アリコは身持ちが硬かったがクリコのほうはそうでもないという評判だった。シェアハウスの住人の男全員と関係があるとも言われていた。

 リカコはぼくと付き合っていた子で音大で中世音楽の研究をしている。宗教音楽ではなく世俗音楽を体系化する研究だと彼女は話していたがぼくにはいまひとつピンとこなかった。

 シンイチは物理学を学んでいた大学院生、毎週末、白神山地にある研究施設で実験を繰り返しときには長期滞在していた。研究施設は、直線型では世界一の大型加速器で実に全長五十キロだという。ここで素粒子物理学の研究に没頭していた。ちなみにシンイチはリカコの元彼で、前の月の交流会で正式に二人は離別しリカコはぼくと付き合いはじめた。

 もうひとりシェアハウスの住人がいた。クゲという男で大手情報機器メーカーの技術者だった。量子コンピュータの開発が専門だと言ってた。

 この晩も、いろいろなことを話した。

 ひと月に一回のチャンスに、お互いに気になっていること、嫌だと思っていいることなんかについて話しはじめた。アリコの飼っているハチワレの猫が入ってきてリビングを歩き回る。幸い住人に猫嫌いはいない。魚料理や生クリームを小さな皿に盛って猫にあげる者もいる。ゾンビの恐ろしい顔がアップになると、猫は立ち上がり驚いた表情で全身の毛を立てる。尻尾がものすごく太く大きくなり怒りの声をあげる。みんながそれをみて笑う。

 そんなシーンが断片的に浮かぶ。楽しい一夜だ。

 事件は次の日に起きた

 というか、ぼくが目覚めたときにはとっくに事件自体は終わっていた。

 何本目かの映画が終わった後、ぼくはみんなよりひと足先に部屋に戻った。リカコも一緒に。多少飲みすぎていたと思う。ぼくたちはそのまま寝入ってしまったと思う。

 朝方、「飲み物をとってくる」と言って、リカコが階下のリビングに降りて行ったのは憶えている。そして、リカコの悲鳴……。

 ぼくは部屋着のまま階段を降りリビングへと急いだ。ソファにシンイチが横たわっていた。頸動脈を切られたのか壁から天井まで血飛沫のあとが残っていた。リカコは悲鳴を挙げながら、リビングの中央にしゃがみこんでいた。シンイチの死体の先、玄関に向かう廊下にはアリコが倒れていた。正確にはアリコかクリコか判じがたいのだが、はめられていたシルバーの指輪は確かにアリコのものだった。うつぶせに倒れた体の下に血だまりができている。

 ぼくはレチネット経由で最寄りの警察にコールし、リカコのところに駆けよった。

 リカコは悲鳴と鳴き声の混じった声を断続的に挙げ小さく震えていた。

 しばらくして警察が到着したとき、リカコは気を失っていた。


(3)に続く


※3/27校正済み





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