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”喧嘩番長”と”天才”は同じ場所から物語を奏でる - 「ニュータマリバ」構想に寄せて -

僕は”浅草おと”という場所を経営している。

僕の経歴を知った人から「なぜこの場を始めたんですか?」と聞かれることが多く、その度に「2時間くらいかかりますけど良いですか?」と答えるのも申し訳ないなと、まああまり思わないけど(笑)、少しくらいは思うので、ここに書き起こす。

まず、読め(ください)。

僕がNRIの中国拠点を経営した結果として五感で味わったこと、それはもちろん甘いだけのものとは決して言えない内容が凝縮されている。とは言うものの、このノートを見て、上記のURLをクリックする確率はそれなりに低いと思われるので、「想い」という部分だけかいつまんで転記する。

・日本の製品(モノ)・サービス(コト)は海外、特に発展するアジアでは確実に競争力がある。
・モノだけでは戦えない、コトを伝えるためにはヒトが必要。
・伝えるヒトは、日本人×英語、日本人×現地語通訳となるが、意思の疎通の正確さ、効率が悪い。
・一方で、現地にて、現地人に教育をすることには限界がある(現地人はモノ・コトの良さを生活で実感したことが無いため)
・だから、現地から日本へインバウンドで送り込み、学び、働き、暮らし、遊び、集いを体験した人材をたくさん創って出していきたい。
・そういうヒトが将来現地にアウトバウンドして、日本のモノ・コトを伝えていくことが、お互いにとって発展する関係になる。

これを書いたのは2013年10月30日。おとの創業時における主要メンバー3人の家に集まり、事業とは決して呼べないような内容についてこんこんと語り合って、想いを、時には怒りに似た衝動を酒を呑みながらぶつけ合い、泥酔状態で帰宅した後に一気に書いた。

僕はこの「想い」については一切の妥協をしなかった。この「想い」に妥協するということは自分に嘘をつくということであり、自分という存在を否定することであり、死んでいても一緒だよね、ということになる。

「想い」については妥協しない一方で、”和の飲食店”という”場”をベースにするというアイデアについては他のメンバーの意見を受け入れた。当時、”和食”が世界文化遺産として定義されたこと、他のメンバーが”食”に対して強い関心を持っており、その熱意は僕に伝わったということかもしれない。

カオスでかつ極限に近い状態にこそ人の本質が現れる。
人の本質は五感を震わせて人間の身体から溶け出し、人と人との間を埋める媒体を震わせ、色や音のゆらぎで満たされる。
そこには不協和音や共振があり、そして、根底を流れるグルーヴがある。
このグルーヴのみが”意識”として”意味”を持ち、他には何もない。

僕の「想い」はこういうことで、”浅草おと”で、例えばアフリカ人スタッフが浅草の地元住人に、山形の日本酒がどのような自然や材料、技術・技能で創られているのかを説明し、翌日にはスーツに身を固め、その山形の日本酒酒造を中国資本で買収し、中間管理職の給与を削減しつつ、杜氏を含めたつくり手に対する給与を引き上げるDay1の渦中にいる、そういう絵があって、常にその絵を眺めたり、描き直したり、塗り直したりしている。今でも変わらない。

高い複雑性の中で、人間性を試されるような極限状態においてこそ、人の個は色として音として、きらびやかな世界を見せる。そして、その世界を見たり、見せられたりした人は、心の安定を手に入れることができる。僕自身、もしくは僕が接してきた人で心が安定している人というのは、例外にもれずこのような経験をしている。だからこそ、他の人にもその体験を味わって欲しいし、味わう気がないのなら僕と関わらないでくださいね、というのが僕の本質なんです。さようなら。

”浅草おと”の2F(場合によっては3, 4F)の活用方法を模索している中で、”はじまり商店街”さんとコラボして仕掛けることになった。まだ明確に中身を固めている訳ではないが、来年以降の本格稼働に向けて試行錯誤を行動しながら詰めていこうということになっている。

それが、このニュータマリバ。

試行錯誤のひとつとして、一般の方を集めてその中身について議論をしてもらったものを、はじまり商店街メンバーの方がまとめてくれた記事、こういうことがパパっとできること自体素晴らしい。

一方で、記事の中では「3, 4F」で「オープン」と書いてあるが、「2F」を活用する可能性もあるし、3, 4Fの場の活用についても所有と使用、稼働の条件等についても最終的にはある程度厳密に決めるつもり(少なくとも僕としては)。

「目的」というものは人によって絶対に違う。同じであるということは社会的な人という属性は消滅する。いろいろな人はいろいろな目的を持っていて、無作為に集まることによって一定のカオスが生まれる。カオスでは思想や利害についての不一致が生まれる。その不一致について明らかにし、譲れない部分と妥協する部分とを切り分け、それぞれが持ち帰りやり遂げる。

この行為自体を極限までやる。極限というのは喧嘩しろと言うことではない。この行為自体に妥協するなということだ。手段の一つとして喧嘩は否定しない、一方でそれ以前に不一致を様々な方法で観察し、様々な思考のフレームワークで整理し、最終的には互いの思想を拠り所に握手のしどころを探す。そういった行為を怠けないということを言っている。

「溜まり場」という言葉、前に「不良の」って付くよね、だいたい。
じゃあ「不良」って何よ。

高度成長期社会において、日本を株式会社として見立て、全体戦略として「労働生産性」を最大化することを目的として、職場と住居とを機能として明確に切り分け、それ自体、それらを結びつけるインフラを整備し、歯車として機能する労働者を大量生産するための教育を行ってきた中で、その正規分布における偏差が高い人間たちを持って「不良」と定義したということに過ぎない。極めて分散度の低い社会における高偏差値・高カオスの人間たちのことをそう呼んでいただけ。

そういう意味で、いわゆる”喧嘩番長”と、ずば抜けた知能指数と高等教育処理能力を持つ”神童”とは、実は似たような位相に属する。不良を描いた物語の中で、いわゆる「悪いグループ」に「天才」が属していることが少なくないのは、そういったことが物語の中において必然であり、物語性を高める上での必需であったということを意味する。

”喧嘩番長”も”天才”も、”大人びた音楽少女”も「溜まり場」では、目的のない行き場の無いルサンチマンのようなものを、生々しい状態でぶつける。それは、口論のように高いエネルギー値を伴い高鋭角な言葉が使われる場合もあるし、昼下がりの気だるさの中で、湿気を伴った会話の中でも行われる。

僕が「溜まり場」に求めるのは、意識の高さでもなく、社会的な正しさでもないし、なんとなくダラっと無作為に居続けることでもない。ただ単に、そこにいる「個」がそれぞれの五感をそのままさらけ出し、子どものようにそれを相手にぶつけていくことに躊躇をしない世界。

物語が生まれ、色が映え、音が聴こえる世界。
世界の終わりとハードボイルドワンダーランド のような世界。
本気で脱力すること。

これから世界を創るんだと思うとワクワクする。

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