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「劇場版 ムーミン谷の彗星 パペットアニメーション」の感想。穏やかな終末。OOO的不気味さ。

ムーミンのことはほぼ知らない。ムーミン谷は人類滅亡後の世界で、スナフキンが人類最後の生き残りなんだっけ?と思っていたけど、今調べたらそれはただの都市伝説だった。

映画の感想をまとめると、とても不気味で面白い映画だった。

不気味な画面。

今作のアニメーションはセルに人形を貼り付けるタイプのパペットアニメだった。
ストップモーションアニメとセルアニメの合いの子みたいな感じ。
しかし平面上で動かさないといけない点でストップモーションアニメよりも自由度が低く、ありものを動かさないといけない点でセルアニメよりも自由度が低い。
複数のレイヤーを使うことで奥行きを見せようと頑張っていたけど、川面に浮かぶ筏だとか、トレイに乗った食器だとかの、パースの付いた底面に物を乗せる表現が苦しそうだった。

苦しいカップのパース。

そんな中で、ムーミン達がフェルト生地で出来た作り物にしか見えず、それが床に並べられているようにしか見えなくなる瞬間がたびたびあった。
そんな風にアニメーションが破綻した瞬間に、この映画に潜む不気味さが顔を覗かせているような感じがした。

最近彼のエッセイを読んだからかもしれないけど、そういう瞬間にはグレアムハーマンの『オブジェクト指向存在論(OOO)』(補足1)を連想した。
この不気味さは、破綻によってムーミン達が「ムーミンというキャラクター」として我々に関わるのをやめ、我々には理解できない一面がゴロンと出てきてしまったような不気味さだと言えるかも。我々はそこに、本来認識不能な「ムーミン自体」の影を見る。

補足1:オブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology)
カント哲学へのカウンターとして登場した思弁的実在論に属する哲学。
「カントは『人は物を物自体として認識することができない』って言ってたけど、人間だけじゃなくて、物同士だって物自体に関係することは出来ないんじゃないの?」という風に、人間中心的な考えを批判する方向でカントに反論している。
例えば綿を燃やすときに、火は綿の「燃える」という性質としか関係できていない。みたいな感じ。

不気味な話。

天文学者を訪ねに、雲より高い山頂にある天文台を目指す旅ってのがなんかワクワクする。
天文台に行ったら、そこには人間の科学者がいて、この不思議に物寂しい世界の秘密(実はこの世界は狂った神の見る夢なんだよ。とか)を教えてくれたりするのかな。という期待をしていたけど、特にそういうことはなかった。

話としては、天文台に行って、彗星が迫っていることを確認して、家に帰るというシンプルなものだった。そしてこの後半の帰宅部分がめっちゃ良かった。
赤く染まった空には迫り来る大きな彗星。川は枯れ、海は干上がってしまって、終わりの近づく世界を呑気に歩くムーミン達、堪んね〜。

干上がった海を行くムーミン。後半はこんな感じの画面が続く。

ムーミン達がこの終末をどう認識しているのかも面白い。彗星が迫っているのに、彼らは特に焦る様子もない。
「彗星に潰されるとしても、それならせめて家でと、そう思ったのです」
帰ったら帰ったで、「マフラーを編みたいのに毛糸が見つからないよ〜」とか。明日以降の予定を普通に立ててる。
彗星がぶつかればみんな助からないとちゃんと分かっているのか、それともちょっと大きめのイベントくらいに考えているのか。こいつらはこの終末級の災害をどう捉えているんだ?

調べてみると、ムーミン達は毎年冬になると冬眠するらしい。ムーミンにとって死(冬眠)というのは生活のサイクルの中に組み込まれているもので、だからこそムーミン達は、死んだ後の予定のことも平気な顔で立てられてしまうんじゃないだろうか。

結局、彗星はぶつからず、地球を掠めただけでどこかに飛んでいってしまった。
世界は何もかも元通り。しかし、ぶつかっていたらぶつかっていたで、ムーミン達は呑気に全滅していたんだろうなと思う。

道中で大ダコや不気味な植物と戦っているのも面白い。襲いくる怪物をかわしたことを喜んでいても、空には変わらず彗星が映っていた。ムーミン達は落ち着ける死に場所を目指して旅しているように見える。

不気味さの正体は何?

すげー不気味で面白かった。子供の頃に見たらトラウマ確定だったろうな。

その上で、この不気味さの正体は何なんだろうと考える。
迫り来る終末を前にしたムーミン達の呑気さは常軌を逸していて、およそ感情移入できるような存在ではない。そんな彼らに感じる印象は、ムーミン達がただのフェルトにしか見えなくなる瞬間の感覚と繋がっているはずだ。圧倒的な異物感というか。

つまり異化効果です。とラベルを貼って済ませてしまうのも味気ないので、この異物感がどんな類のものなのかについて考えているんだけど、答えは出ない。

というかOOOを使ってこの異物感を表現したのなら、その異物感の本質には絶対に辿り着けないということになる。

ムーミンに詳しい人であれば何か分かったりするんだろうか。

その他、細かな感想。

・制作会社のロゴ映像からシームレスにOPが始まるから、しばらく「何この映像?」って思いながら見てた。本当に何この映像?誰?ムーミンじゃないよな?ちょっと不気味なんすけど。

・干上がった海には流石のムーミン達も唖然。
「でもきっと大丈夫、ママならどうすればいいかを知っているのですから」
ナレーションがそう言っている間にも後ろの空には彗星が大きく映ってる。いや〜、これはママにもどうしようもないっしょ。

・みんながムーミン谷から逃げてるのを見たムーミンが一言。
「彗星は寂しいだろうな」
素敵な感性だな。

・「石転がし」とかいう邪悪な遊び。山の上から石を転がすのは絶対にダメって教わったぞ。
と思ったらちゃんと反省してた。

・めちゃめちゃスルッと球電現象が描かれていてウケた。

・吹き替え版を見たんだけど、ナレーションも含めて、みんなの声が良すぎる。これを見る以前に令和版のムーミンをちょっとだけ見たことがあったけど、それよりもこっちの声の方がよほどしっくりきた。

余談

ムーミンのことはほとんど知らないと言ったけど、例外的にスナフキンだけには思い入れがある。友人のLINEアイコンがスナフキンなので、ぼくにとってスナフキンは、「僕の遅刻癖を詰ってくる奴」だ。

遅刻する度に喫茶店のお代を払わせていただいている。

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