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1980年の映画監督No.16

3.転がる石のように④

 「タナカに内容証明を送れ」
 ある時、”カントク”は電話口で山田にそう言った。内容証明とは、いつ、誰が、誰に、どのような手紙を送ったか郵便局が証明するものだ。公的に証明している、ということだけで、なんてことないものだが、内容証明が送られてきたとなると、相手はビクリとくる。いつでも法的措置に出ますよ、という脅しのようなものなのだ。裁判などになった時に証拠として効力を持ちますよ、ということなのだろうが、内容証明つきでないと証拠にならないのかどうか疑わしいし、やはり単に脅しの道具としか山田には思えない。
 タナカとは、東京メタリカル通信の社員である。東京メタリカル通信を脅しにかけるというわけである。しかし、脅しになるだろうか。
 きっかけは些細なことである。打ち合わせで語られてきたことを覆す結論を打ち出してきたのだ。言ってしまえば、それだけのことである。しかし山田たちには大事だったのだ。この話が空中分解すれば、明日はない。そういうところに山田たちはいたのだ。”カントク”は、その日、その打ち合わせの後、いつもなら喫茶店に入りコーヒーをのみながら、翌日の予定はどうなっていたかな、などと話し合ったのち家路につくのに、その日は黙ったまま、東京駅の改札で別れた。”カントク”は非常事態や、気に食わない事、アタマにくることがあると、黙って口をとがらせて作戦を練る。そして、夜になり電話がかかってきたのである。内容証明は、数時間かけて考えた一手だった。
 東京メタリカル通信とは知人である、ある大手電器メーカーの社員から社長を紹介されてからの付き合いであった。今では考えられないことだが当時インターネットの通信手段は電話回線であった。それをADSLに替えていこうと、この日本の通信電話事業に牙城の如く君臨する企業に反旗を翻し新たな通信会社を作った。それが東京メタリカル通信だ。
 光ファイバーは敷設に時間と膨大な費用がかかるため普及しないと見込んでいた。まったく今では考えられないが、確かにそう信じられていた。
 東京メタリカル通信は、まさにベンチャー企業という名前にふさわしい理念と情熱とを持った頭脳集団であった。名だたる大企業がこぞって出資をしていた。東京メタリカル通信が既存の通信会社に取って変わるのではないかと信じられていたのだ。出資はそれを証明していた。
 ”カントク”は、ベンチャーが好きであった。自分は、もはや映画を撮る映画監督ではなくベンチャーを起こす映画監督であると位置づけていた。こと、インターネット業界にとって、映像とは最も容量を食うコンテンツである。まさに、これからの時代に欠かせないのは、映像、映画であると意気込んだ。”カントク”は、ベンチャーを起こす映画監督らしく、映画を映画とは言わない。コンテンツという。ある日、突然、コンテンツだな、これからは。などと言い出して、山田はなんの事やらさっぱりわからなかった。なに、今朝の日経新聞にな、などと、言い出すようになったというわけだ。
 しかし、そういう大容量の(当時はADSLでもそう思われていた)回線を作って何をながすんですか。映像でしょ。データ量の重い映像を流すんでしょ、とばかりに”カントク”は売り込みをかけた。しかし、自分の著作権のある作品だけでは、とうてい足りない。作品を集めようと本気で考えていた。東京メタリカル通信の社長は映像業界の著作権のことなど知るよしもない。そうですか、作品を集めていただけますか、とばかりに話はとんとん進み、では担当をタナカに。というわけで担当者レベルで打ち合わせをはじめた。
 九州のI市での、デジタルスタジオ構想は、現実的な見積りを作り出すと、その膨大な予算に市の職員はひっくり返り、ほぼ空中分解した。次年度には委員会の予算もつかず、毎月行なっていた会議もなくなり、”カントク”は途方に暮れた。市の施設に事務所を間借りしていたが、家賃滞納で追い出された。もともと委員会のメンバーだから、無償で貸してあげます、と市に言われたので、市にとっても看板になると思い借り受けたのに、酷い仕打ちだと”カントク”は憤慨したが、もともとタダで貸すつもりも市にはなかった。毎月の滞納額が加算されていたにすぎない。
 ”カントク”は、東京メタリカル通信の社長と知り合うや、I市を放り出し東京に入り浸った。数ヶ月経ちビジネスとして軌道に乗るのか、と思われた時にこのように足をすくわれてしまった。
 しかし、東京メタリカル通信の社長は、ビジネスレベルに考えていたかというと怪しいのである。大方、映画監督=芸術家と見られがちである。宣伝に使っていただくくらいにしか考えていなかった可能性もある。
 いつだったか大手電器メーカーのインターネットの担当の部長クラスに”カントク”が売り込みをかけた時、
「ええ︎⁈ お金払わなければならないんですか?」
と本気で驚かれた。日本映画を題材としたインターネットのホームページを作りませんか、という提案だったが、映画監督は映画を作るのが仕事だから、インターネットを使ったホームページ作成などを金で請け負うとは思っても見なかったのだ。
「もちろんですよ。ボランティアでやれっていうんですか?」
と、本気で”カントク”は憤慨し、大手電器メーカーのインターネット担当部長は、月十数万の稟議を通し、”カントク”と山田は、それこそコンテンツを作ることを請け負った。1年ほど前にすぎないが、コンテンツの容量は、グッと少なかったため、映画監督の紹介や、インタビューなど文字によるものだった。
 それから1年ほどで、瞬く間に、IT業界は
進歩し、もはやコンテンツといえば、映像であった。
 東京メタリカル通信の担当者タナカと打ち合わせを進めて、ある時、さあ、この内容で契約を取り交わさなければならない、という段になって、社長に話をあげたら一蹴されたのだ。
「そんなお金なんか出せませんよ。」
ああ、あの時と同じだ、思ったが、今回は担当者はたしかに金に関しては了解していたのである。
 何故現実的ではないことを打ち合わせで了解し続けてきたのであろうか。彼は途中社長におうかがいすら取ろうとしていなかったのである。それは社長の了解など取れるはずはないと確信していたからである。東京メタリカル通信は当時テレビコマーシャルもうっていた。数億は大手広告代理店に払っていたはずである。金は持っていた。
 だから山田たちもあまり疑ってかからなかった。ひじょうに伸びていた会社である。今度はうまくいく。間違いない。そう信じていたのである。
 ある時打ち合わせでこういうことがあった。まだ早い段階でのことである。タナカと山田たち”カントク”側と齟齬があった。
「おいコラ、ヤマダ!どうなってんだ!」
“カントク”が怒鳴った。
映画の現場では日常茶飯でも企業の打ち合わせである、そうそう怒鳴るなどということはなかったのであろう。タナカは驚いたに違いない。えっ、この人ヤクザみたい。こわーい。そういう心の声が聞こえてくるようであった。これでは脅しである。よく使う手である。担当者のタナカに、「おいコラ!話が違うじゃないか!どういうこっちゃ!」
などと怒るわけにはいかない。そこで”カントク”は山田に怒るわけである。しかし山田と示し合わせてのことではない。従って”カントク”は山田にも本気装って怒っている。悪いなヤマダ、あいつに直接怒るわけにいかんからさ、などと言うことはない。しかし、担当者タナカは、自分が怒鳴られてるかのようにビビる。この時、タナカはこの人たちとまともに仕事などできない。適当打ち合わせに合わせておいと、どこかで空中分解させよう、と思ったのではないかと、山田は考えている。

 内容証明とはまた面倒くさいことを言い出したもんだ。山田は電話口でうなった。もちろんうなったのは心の中ことで”カントク”には聞こえない。それは悪あがきにしかならんと思いますよ、とも言わないし、本気で裁判にでもする気があるなら立派ですが、カッパの屁みたいなもんで脅しにもなりませんぜ、とも言わないし、ジョウダンじゃありませんぜ、勝手にどうぞ、とも言わずに
「分かりました」
と電話を切った。
次にはワープロを立ち上げ事の経過について書き出していた。字数制限などあることは知っていたが正確なところは後で調べるにして覚えている事実経過を洗い出しておく必要がある。山田はこういう事務能力は極めて優秀であると言える。ただ正しい行いの上でのことであるかどうかはわからない。願わくば映画ゴッドファーザーの弁護士トムのようでありたいと山田は思うばかりである。であれば、少しは気持は落ち着き嫌な作業もナルスティックに行うことができるというものである。
 山田は作業をしながら、やはり内容証明など送るべきではないと言う必要があったのではないかと考えたりした。では他に何か方法はあるかと問われるだろう。しかし、山田には代案はなかった。もう少し話し合って、何が原因で齟齬をきたしたか、まあ、そんなことぐらいしか考えつかない。
 しかし、”カントク”は、代案がない反論は嫌いである。これは、物語作りも実人生も同じである。良いアイディアがない限り現時点で良いとされるアイディアが決定権を持つ。内容証明を送る、ということ以上に面白いアイディアを示せなければ、山田の反論は何も意味をもたない。面白いアイディアは、ほとんど皆無のように思われる。相手を刺し殺すという貧相なアイディアなら浮かぶが、決定的に面白いアイディアはないのである。従って、ここでは、何も行動を起こさない、とか、相手にどういうつもりか問いただす、とか、はまったく面白いアイディア、というかアイディアですらないので、即却下である。
しかし、内容証明を送れば東京メタリカル通信との関係も続くことはないであろう。
 山田は、受話器を取った。山田はその旨を”カントク”に伝え、内容証明が正しい判断かどうか再考すべき、例え代案がなくともそのアイディアだけで進めていいものどうかと、勇気を出してといただしてみた。
「お前、ローニンて映画観たよな。ロバート•デ•ニーロが撃たれた傷口から自らメスを持って弾丸を摘出するよな。あの映画はあれだけだよ。あそこが全てだよ。しかしそこが凡百の作品にはないところだよ。痛みを伴うことだが、自ら問題の箇所にメスを入れなければ回復はないよ。手が震えようが痛みで気を失なおうがやらなけらばならない。お前にそれができないのでだよ。要するに、そういうことだよ」
 要するに戦うことが好きかどうか。山田は、戦うことが好きではなかった。どんなに穏やかにみえる会社経営者もこと会社の行末については戦闘的な姿勢をもっていて、そのことについては誰にも負けたくないし誰にも勝ちたいと願っている。山田の学校の同期のやつも普段は穏やかだが、自分がやりたい企画なり物語について、何か言うものに対しては常に戦闘的な姿勢でいた。普段通りしていれば自ずととスイッチが入って戦う気持ちになれるものたちだ。山田は、意識してスイッチを入れようとしないと、戦う気持ちにはなれない。無理に自分に課せば結局は腰が弱いという印象をもたれる。

 かくして内容証明は送達された。
痛みを伴ったことの効用か関係が切れることはなかった。というか、内容証明のことなど一言も交わされることなどなく事態は進行した。
 社長自ら、”カントク”に電話をしてきて、再度打ち合わせに来てほしいとのことを告げ、打ち合わせに”カントク”と山田で出向いた。くだんの担当者タナカは打ち合わせに顔だすことはなく、社長はその釈明をすることもなかった。もう一度、意向を聞かせてほしい、と社長は言う。その後の打ち合わせは全て社長が自ら立ち会い、こちらの提案にはひじょうに面白がってはいたが、こと金銭的なことになると首をたてにふることはなかった。
 ところで、後日たまたま山田はローニンを見返したのだが、
問題のシーンはデ•ニーロ自らメスを持ってはいなかった。確かにデ•ニーロは傷から弾丸を摘出する方法を的確に把握していた。しかし、それは相棒のジャン•レノへの指示によってジャン•レノの手で行われるものであった。つまりデ•ニーロは、傷口をメスで切ること、鉗子で開くことをジャン•レノに指示し、そのように行わせる。自ら痛みに耐え傷口にメスを入れたわけではない。作り手として、どちらの方法を選択するかは大きな違いである。自らメスを持たなければ”カントク”の意図することは観客には伝わらない。ローニンの映画監督のジョン•フランケンハイマーにはそのような意図はなかったのである。あるいは、さすがに自らメスを使うことは不可能と医学的な考察の上でそういう描写を選択した。
“カントク”は、映画を観ながら自分で物語を作っているのだろう。自分が最も良いとする話の運びを選び、そう進行したかのように錯覚しているのだ。
 これより以前のこと。太宰治のヴィヨンの妻が話題になった。飲んだくれの作家の亭主を持つ妻が飲み屋の給仕をしながらたくましく生きていくという話だ。”カントク”は、飲んだくれの亭主をよそに妻が身体を売り、たくましく生きていくというはなしと思いこんでいた。その方が劇的といえば劇的である。また、映画化には、そのような物語の方が受けるかもしれない。確かに妻は、飲み屋に来ていた客に身体を許すという(か、半分無理やり犯される)くだりがラスト近くにある。しかし、身体を売ったということにはなっていない。”カントク”はここを読んで身体を売ってるなら面白いのに、と思って次第にそういう話と思い込むのか、最初から身体を売った、
と読むのか、”カントク”は、映画を観ても本を読んでも自分の作品にしていた。
 さて、東京メタリカル通信。その後も金銭的な意味で何の進展も見せなかったが、東京メタリカル通信の社長も、それどころではなかったのかもしれない。旗揚げし、わずか半年ほどで様相が変わってしまった。東京メタリカル通信は、あくまで既存の電話線を利用したADSLという通信手段を利用したサービスを展開したが、それは光ケーブルというインフラを整備するには資金が足りなかったし、そこまで資金をつぎ込んでインフラを敷かなくてもADSLで充分であろうと踏んでいたのである。しかし、NTTに簡単に駆逐されてしまう。光ケーブルによるインフラがNTTにより敷かれるのにそんなに時間はかからなかった。ADSLは、あっと言う間に衰退してしまったのである。東京メタリカル通信に出資していた各企業も蜘蛛の子を散らすように引いていった。
 ”カントク”は、茫然とその変化を目の当たりにする。もはや、手を尽くしようがなかった。
 ”カントク”は一つの決断を迫られることになったのである。
 ある日の夜、山田のアパートの電話が鳴った。だいたいこの時間の電話は”カントク”であると、わかる。
「もしもし、山田か…」
“カントク”の声の調子が返って明るかったので、きたな、と山田は直感した。

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