必要になったら電話をかけて

今日、というかほぼ昨日といっても差し支えないのだが、プールで泳いできた

ジムとプールとサウナが併設されている市民センター的な場所だ

料金は比較的安い

350メートルほど泳いで、クタクタになってしまった

いや、本当はそんな話がしたいのではない

今日はドラクエモンスターズというゲームにどハマりしてしまってこんな時間になってしまった

いや、そんな話がしたいわけでもない

たぶん、言いたいことなんてなにもないのだ

今日は別に、昼ごろ起きだして、ゲームをしてジムに行ってまたゲームをしていた

そんな、なんでもないというより何もない一日に不満なのかもしれない

いや、たぶんそうですらなくて

ただ漠とした不安、ただ漠とした焦り、ただ漠とした人恋しさ、ただ漠とした退屈感

そんなものに突き動かされているだけだ

平坦な人生がつまらないように、平坦な一日もまたつまらない

何か創意工夫や、浮き沈みといったものがあったほうがいい

日々の計画を立てるということが嫌いだった

ただ、こうして、本当に月曜日も日曜日と変わらなくなってみると、計画を立てるというのはまさに主体性の発揮かもしれないと思うようになった

時間に余裕のあるフリーランスが、なぜ決まった時間にジムに行くのか

アルベール・カミュの、シーシュポスの神話という話をご存知だろうか

ただひたすら、斜面の岩を押し続ける人間が出てくる

いつゴールすらかもわからないが、ひたすら岩を押し続けている

そしてその男は幸福である

みたいな話

主体的な時間の中にしか恐らく自由は存在しないのではないか

いくら空間的、時間的な自由の空間に放り出されようが、主体が能動していなければ自由とは感じられない

それは阻害だ

少し眠くなってきた

どうやら脳みそは満足したらしい

認知行動療法によれば、気分は主体ではないらしい

そうなると、いよいよ自分というものが一体何に根ざしているのか、不思議になって来ないか?

だから記録を取るのか

面白いよなぉ

人間の意識というのは

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