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【映像】 日々の映像プロジェクト"365sec"

"365sec"は1本が1年分の映像記録

僕は2011年12月4日から毎日何かを撮影しています。
それを1日1秒ずつ切り取って繋げていく映像のライフログを"365sec"と名付けて自分自身のプロジェクトとして続けています。

1年分を一区切りとして編集しているので1本の映像は365秒(閏年は366秒)の記録になります。この記事を書いている時点では2019年までの編集が完了。
2022年で11年目に入ったので、区切りとしてこのプロジェクトの専用ウェブサイトを先日公開しました。

映像は1年分を1本として編集しているので、このウェブサイトの更新は新たな1年分が編集完了したときだけ。ほかにコラム的なことや日々のブログ的更新は予定していません。プロジェクト映像のみをアーカイヴしていくためのウェブサイトですね。


365secの撮影、編集にあたって決めたこと

  1. 撮影機材は限定しない。スマートフォン、アクションカメラ、コンパクトデジタルカメラ、レンズ交換式デジタルカメラ、全天周カメラなどを使用している。

  2. 撮影済み映像の後加工は基本的に行わない。(撮影時にカメラ側で設定したスローモーションやタイムラプス、スタビライズはその時の気分を表していると考えて制限しない。全天周カメラで撮影した映像は撮影後にリフレーム作業が必須のため除外)

  3. 撮影できなかった日、しなかった日は黒画面。編集時に日付のみ追加する。

  4. 映像は1日1秒ずつカットするが、音声は前後に伸ばすことを許容する。(強く印象に残っている出来事や、何日も継続する気分を表現している)

  5. 後付けのBGMを乗せない。(当初、編集した映像にBGMをつけていたが、時間が経ってから見返すと違和感だけが残りライフログ作品として意味がなくなっていると気付き、全て再編集した)


このプロジェクトで大事にしていること

僕が"365sec"で最も大事にしているのは、上のルール5番目の「後付けのBGMを乗せない」という項目。BGMというものは映像の演出のために用いられるもので、映像の一部や全体に映像自体では表現しきれていない感情や印象を付け加えることができます。
僕は、「使用するのは自分で撮影した映像だけ」と決めることで日々の移ろいや感情の起伏などがきちんと見えるようにしたいと考えているんです。
2番目の「撮影済み映像の後加工は基本的に行わない」というのも同じ理由からです。

自分以外の人にとっての意味

この"365sec"を始めた時、10年続けることができたらプロジェクトとしてなんらかの意味を持つことができるかもしれない。と、漠然と考えていたんですが、10年という時間は割とあっさり過ぎていきました。この間、一本仕上がるごとにYouTubeにアップロードし、SNSで告知してきました。観てくれる人は多くはなかったけれど、本数を重ねていくと毎回楽しみに待っていると伝えてくれる人たちが出てきた。

僕にとってこの映像たちは過去の気持ちや出来事を思い返す鍵。知人たちにとっては知らなかった僕の一面を発見する機会になるのかもしれない。では、全く関わりの無い人にとって、この映像を観る意味とは何だろう?
僕はその答えを持っていません。
観た人それぞれの中に何かが生まれれば意味を成すだろうし、観た人同士が交流することで意味を見出すのかもしれない。あらかじめ何らかの意味や仕組みを持たせて作っているものではないからです。

例えばこの記事を読んで365secの何本かの映像を観た人が、何かを感じたり見つけたとしたら、是非それを僕にも教えてください。

サポートしてくれる人が増えると、新しい作品を作る余裕も出てきます。余裕は新たな可能性を見出す機会をもたらしてくれますね。新たな可能性からは今までと違った視点も生まれるかもしれません。