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本気でそう思っていた「理想とギャップ」

2014年5月。僕は奈良県大和高田市で個人事業主として活動をし始めた。


遡ること、約5年。

2009年3月ごろから僕は本気で医学部を目指した。大阪体育大学にいた僕は明らかに周囲と浮いていた。「身体すげぇ!」と自分の体験を通じて感じ、大学1年生の頃からスポーツトレーナーとして、多くの師匠に会いにいきテクニックやスキルを学ぶ。

それ以上に立ち振る舞いや思考法を学んでいたような記憶がある。その人の考え方をまるごとインストールするような感じだ。

歩く思考スキャナとでも言っておこう。

そんな僕が医療の道で本当に勝負するなら、テクニックやスキルだけでなく本質を知ろう!と思ったのは、大学2回生の時。「医師になろう!」という気持ちが内面から溢れ出してきた。どうせなら、世の中に足跡を残すぐらいの男になってやろう!ずっとなぜか憧れだった国境なき医師団を目指そう!そう決めて、母を説得し、医学部の学士編入専門の予備校(河合塾KALS)に通った。

医学部学士編入では、学士を持っていれば3年半で医学部を卒業できる!それを知った僕は学士編入一本で勝負をした。医学部4回生までの免疫学、細胞学や分子生物学、物理学や生化学、病理学などほんとあらゆる勉強を予備校を通じて学んだ。正直、めっちゃ面白くて、新たな発見を毎日できるほど僕にとってこの学びは今でも財産となっている。

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結果的には2年かけて、大阪大学や筑波大学の学士編入に挑戦したが、いいところまでは行けても結局結果は敗戦だった。

それもそのはず、今思えば当たり前だが。

僕は当時、本気でやっていると言っておきながら様々なことを並列してやっていた。塾の講師のバイト、大学の学業、整骨院のバイト、母校のスポーツトレーナー、居酒屋のラストまでのバイト、彼女との時間、バレーボール(社会人チームを自分で作って運営)など、本当やりたいことを全てやっていた。だから、毎日2時間ほどの睡眠時間。

全然平気だった。日本一周もしたい!と思って、青春18切符を購入し、レンタカーを借りてぐるっと回ったり、普通の人生の2倍以上の時間を活動していた。

そして本気で思っていたんだ、全てうまくやれるって。

やりたいことをすべてやり尽くさないと意味がない。

医学部への挑戦は大きな幕を綴じ、僕なりの本気で向かった感覚。やり切った感覚があったので医師の夢を諦めた。というより、夢にかける時間は2年だ!と決めていたので、それに間に合わせれなかった僕の実力がなかった。

周囲からの推薦もあり、学校の教員免許を持っていた僕は学校教育に関わることになった。高校生に対峙し、生活面から部活動まで指導した。

充実はしていたが、何か足りない。

今まで2時間睡眠で突っ走ってきた僕にはあまりにもスローな社会だった。教育に携わって、半年になるあたりで僕は自分の行動に驚く。暇があったら、医学書を買い、医学書を見ていたのだ。

やっぱ諦められていないんだな。

と感じ、覚悟を決めてやっぱり医学に戻ろうと決心する。医学や身体に携われるなら医師でなくてもいい。まだ僕には、世の中に何か足跡を残せるチャンスが残っていると。

1年後には柔道整復師の学校に通い、某整骨院大手企業に就職した。2年で完璧にして、独立して、世の中に羽ばたいてやる!と。大学時代から、フランスやアメリカの技術、古武術、カイロプラクティックなど多くの学びを得ていた僕は技術(臨床スキル)には自信があった。知識を大量に入れまくり、医学部を目指していた時を思い出す。勉強が楽しい!知れることが楽しい!そんな感覚で患者様にも触れていく。

あるふと瞬間から生まれた感情。「もう今しかない!」

そう思って、2年と決めていたのに1年半も経たずに独立。某整骨院時代にも、僕が院を変われば30名以上の患者様がついてきてくれるという出来事もあった。僕は真面目に患者様に向き合い、日々臨床研究をしてきただけだったが。

そうして、すごくお世話になった某大手整骨院会社の社長に「ライバルになってやる!」と決めて、独立した。

独立すると決めてから多くの出会いがあった。とりあえず社会を見よう!と異業種交流会に参加した時に出会ったFPの人が僕の人生の1ページをめくってくれた。学生起業家だった彼は僕にビジネスの方法を肌で教えてくれた。

土曜日、日曜日の週末起業から始まり、たった1週間で2ヶ月分くらいの土曜日、日曜日が埋まった。どうやって集客したかは次の会で話すとするが、簡単に言えば「決意表明」をしまくっただけだった。

僕は〇〇になる。僕は〇〇をして、世の中を変える!

友達にLINEで連絡するのだ。「話したいことがあるから、時間を作ってくれない?」100%の確率でネットワークビジネス?と聞かれた。
もちろん違うので、いや僕のビジョンを聞いて欲しい。で、純粋にアイディアが欲しい。

そう伝えると、20%は信じてくれないが、80%の人は「いいよ!」と言って時間を作ってくれた。聞いてくれる友達がいたから、今の僕がここにいる。

自分のビジョンを30分以上、話してフィードバックをもらい
自分のビジョンの精査をしていく。

面白いもので、話をしていると自分の弱みや
なぜか無意識に隠そうとしている点が浮き彫りになったりよくわかる。

自信がない!というのもすぐバレる。
だから調べて、考えて、50人以上の友達にビジョンを話した。

一部の友達から、整体で独立するなら母を紹介したいから、
一度僕に施術して欲しい!と言っていただき、60分2000円で始めた。

それが噂を呼び、独立して1ヶ月で100件以上の施術件数になり
2ヶ月目には140件、40名のご紹介。
3ヶ月目には安すぎる!と言われ、5000円に変更。
4ヶ月目には180件ぐらい施術して、売上100万を達成した。

がむしゃらにやってうまくいったタイプだったが、今思えば奇跡に近い。
独立するための資金がなかった僕はリボ払いで100万円分使い、2ヶ月目に売り上げがなかったら、その時点で終わっているような状態だったからだ。

正しいとは言えないが、そんな追い詰められた中では結果がだせる。自分の脳のキャパが向上するという感覚をインストールできたことは今の僕にとって大きな影響を与えている。

個人事業主として、お金も時間も回り始め
利益は全て自己投資(勉強や新たな開発)に突っ込んだ。脳の仕組みを学び、コーチングを学んだ。イベントをやれば、ビジネス感覚になるからと言われて、100人規模のイベントもやった。20万以上の大赤字だったが、今ではいい思い出だ。

そうして、僕の個人事業主が始まった。

このまま世界中の人を施術して、世界を周れば世の中変えられる!
この時はまだ、本気でそう思っていた。

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*次回:ビジョンへの壁と死生観

お楽しみに。

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