【海外転職】マレーシアで転職を成功させた話
皆様、こんにちは。清家です。
現在私は、アメリカのロサンゼルスで日本食飲食店を2店経営しています。
今は経営者として、充実した日々を過ごしていますが、過去には数多くの冒険をしてきました。
もしお時間がありましたら、私の自己紹介をご覧ください。
20代の頃の私は、とにかく海外に出たくて仕方がありませんでした。
今思い返すと、あの熱量とエネルギーは異常なものでした。圧倒的な若さがありました。(笑)
本日は、私が20代後半に、片道切符を持ってマレーシアに渡り転職を成功させた話を書きたいと思います。10年前の、2014年の話になります。
私の年表
10代:3年間アメリカ留学
大学時代:日本の大学在学中に1年間韓国留学
大学卒業後:日系企業就職
20代前半:外資系企業に転職
20代半ば:韓国で飲食店を開業し失敗
20代後半:マレーシアで転職
30代前半:アメリカに渡り飲食店開業(現在は2店舗経営)
現在:自家用パイロット免許取得中(必要ない情報。笑)
悪夢にうなされて夜中に目を覚ます日々
10代の頃から国外に出る機会があったため、普通の人よりも海外を身近に感じることは確かにあったかも知れません。
日本を拠点に、海外との繋がりを持ちながら活躍したいとの思いから、日本の大学に進学し、卒業後は一度日系企業に就職したあと、外資系企業に転職しました。
そこでの仕事は、泥臭い仕事もありながらも、世界中の人と仕事をする、やりがいのあるものでした。
右も左も分からない私に、多くのことを教えていただいた上司や同僚、取引先やお客様には感謝しかありません。大変貴重な経験をさせていただきました。
ただ一つ、仕事のプレッシャーは相当なものでした。
私の上司は本当に優秀な方で、その知識量と仕事量は相当なものでした。
取引先かつライバルでもあった五大商社の皆さんも頭2つ抜けており、その優秀さを目の当たりにしていました。
毎日、満員電車に揺られながら朝8時前に出社して、家に帰るのは日付を超えてから。今は改善したと聞いていますが、他の部署の社員は毎日午前2時頃タクシーで自宅に帰っていました。
そんな日々を過ごしていると、悪い夢でうなされた自分の声で夜中に目が覚めるようになりました。
自分では、大丈夫と思っていたのですが、知らないところでかなりのストレスを感じていたようです。
時系列でいうと、この夢にうなされていた日々の4年後には、アメリカでの起業でもっと大変な経験をすることになるのですが、それについては私の著書をご覧ください。
海外と繋がりのあるダイナミックな仕事にはやりがいを感じていたのですが、自分の人生について真剣に考えるようになりました。
じっくりと考えてみると、自分が本当にしたいことは、海外に出て働くことなんだということが分かりました。
私は、会社を辞めて、日本を出ることを決意しました。勤めていた会社には3年間お世話になりました。
いざ、マレーシアへ
今回の記事は、マレーシア編となりますので、詳細は省かせていただきますが、会社を辞めた後、マレーシアに行く前に韓国で小さな飲食店を開業しました。
この挑戦は失敗してしまい、ボロボロの状態で私は一旦日本に帰国することになります。(笑)
本題に戻ります。
私は、自己紹介をするときは、いつも「片道切符を買って、マレーシアに来たのですが、運良く仕事を見つけることができました。」と言っていました。
しかし、実際には日本にいるときに、自分なりに相当準備をしてマレーシアに渡りました。
なぜマレーシアだったのか
当初私は、転職できるなら、英語圏の国に行きたいと考えていました。
そのような思いがあって、まずはアメリカに市場調査のため渡米しました。
事前に、人材紹介会社数社とアポイントメントを取り、面談を行いました。
何人にも会って話を聞いていくうちに、アメリカでの転職はビザの面も含め、相当ハードルが高いことが分かりました。
そこから、カナダ、オーストラリアと範囲を広げて調べてみましたが、どの国もしっくりと来ませんでした。
その次に候補に挙がったのが、経済発展が著しかった東南アジアです。
韓国、台湾、インドネシア、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、シンガポール、香港。
それぞれの国について、自分の納得がいくまで徹底的に調べました。
経済成長率
文化
住みやすさ、環境
日本人の人口
求人数
給与
言語
調べていくうちに、マレーシアがとても魅力のある国であるということが分かりました。
マレーシアの当時の総人口は約3,100万人、日本人の人口は約2万3,000人、ビザは取得しやすく、英語レベルは東南アジアではフィリピンに次ぐ第二位、求人数も一定数あり、近代都市へと大きく発展している最中でした。
調べれば調べるほどマレーシアという国に魅了されるようになりました。
マレーシアに渡る準備を始める
マレーシアに移住することを決めた私は、1ヶ月先の飛行機のチケットを予約し、準備を始めました。
まず最初に、マレーシアにある人材会社4社と面談予約を取りました。
そして、交通アクセスの良い安いホテルを1ヶ月間予約しました。
残りの時間は全て、経歴書、履歴書、英語面接対策の時間に費やしました。
10年前に私が使用した本ですので、参考程度に載せますが、これらの本を紙の端が破れるまで読みました。
マレーシアに到着
本当にあり得ないことではありますが、当時の私は、一度もマレーシアに行くことなく、いきなり移住することを決めていました。
その国の文化が肌に合うか、新しい土地の環境に馴染めるかどうかなどは、どんなにインターネットや人から話を聞いても、自分の肌で実際に体験しなければ分かりません。
結果的に、運良く良い方向に進みましたが、行けばどうにかなる、という危うい考えでマレーシアに渡っていました。
マレーシアに到着してからは、すぐに行動ができるように、到着の翌日から人材会社の担当者と面談を行いました。
どのような会社で働きたいのか希望を伝えます。
「マレーシアまで来ましたので、現地のマレーシア人と仕事ができるよう、日系企業ではなく、マレー系もしくは外資系の企業で働きたいです。」
面談したほとんどの担当者からは、同じような内容のアドバイスがありました。
現在求人のある企業様は、ほとんどが日系企業
日本人の応募者数が増えているので、外資系企業だけに絞らない方がいい
転職活動は長期化することが多いので、視野を広げるためにもとりあえず多くの企業に応募して、面接を受けた方がいい
そもそも20代後半で、経験値とスキル的な要素が十分ではないため、応募できる企業が限られくる
端的に言うと「マレーシアでの転職活動を甘く見ないでくださいね。」という内容でした。
今思い返してみても、本当にその通りです。
マレーシアに渡る前に、自分なりにリサーチは相当したつもりでしたが、インターネット上と現地の実際の情報には、雲泥の差がありました。
しかし、私も「外資系企業に転職する」という目標を簡単に諦める訳にはいかず、頑なに了承しませんでした。
人材会社の担当者からしてみると、扱いにくい求職者だったと思います。
運良く外資系企業に応募
私が応募できる外資系企業の求人は、2社しかありませんでした。米系の海運会社とメーカーです。
書類審査は通り、両企業とも面接に進むことができました。
海運会社の面接は、相当アグレッシブで、ボコボコにされました。(笑)
「精神的にも、肉体的にも、ストレスが多い職場環境ですが大丈夫ですか。」
「精神的に追い込まれた仕事を過去に経験したことはありますか。」
「お客様から、明らかに無理な期日でプロジェクトを進めてくれとの依頼がありました。どのようにチームをまとめて期日内にプロジェクトを完了させますか。」
「リーダーとして、自分を犠牲にしなければならない状況が起こるかも知れません。そのような場合、忍耐力を持って仕事に取り組むことができますか。」
私には向いていないとお互いに感じたと思ったのですが、二次面接への案内がありました。こちらは、丁重に辞退させていただきました。
もう一社の米系メーカー企業との面接は、スムーズに進みました。
社長との面接、技術責任者による工場見学も含めると、面接は合計で4回ありました。
仕事が決まった後に後悔しないように、当時の社長の取り計らいで、会社のことをよりよく知る機会を私にくださったのです。
外資系メーカーに転職が決まる
決まった転職先は、グローバル企業である3M Company(スリーエム)です。
今振り返っても、本当に運が良かったとしか思えない転職活動でした。
待遇も、日本を含む東南アジア諸国への出張有り、給与RM8,000/月、社用車支給有りと、私にとっては申し分のないものでした。働いている従業員も、99%が現地の方です。
マレーシアは、日本に比べて物価が安いので、就職が決まってからは、プール・ジム付きのコンドミニアムの23階に住み始めました。
スリーエムには、非常に優秀な社員が多く働いており、マレーシアを離れてアメリカで起業した今でも、お世話になった方々と連絡を取り合っています。
スリーエムマレーシアには、3年間お世話になりましたが、ここで学んだことなくしては、アメリカで起業することはできませんでした。
マレーシアに移住して良かったこと
長年思い続けていた、海外で働いてみたいという夢が叶いましたが、マレーシアでの経験は、自分自身の大きな成長に繋がりました。
① 世界は広いということを知れた
② 世界中の優秀な人に出会うことができた
③ 柔軟性、交渉力、適応力、対応力、コミュニケーション能力がついた
④ 世界で活躍するには何が必要なのかを知ることができた
⑤英語の能力が向上した
海外に出ると、日本では出会うことのない価値観に触れる機会が沢山あります。
日常生活でも、仕事でも、自分の思い通りに行かないことが日常的に起こり、そのような経験を何度も重ねる内に、考え方が柔軟になり、適応能力が身に付きました。
マレーシアから色々な国に出張に行かせていただき、毎日他国のお客様や支店とやりとりをしていました。
グローバルに活躍する人の姿を目の当たりにすることで、自分の視野も広がっていることを実感しました。
これらの経験は間違いなく、日本にいては得ることのできないものでした。
英語の上達につきましては、時間がありましたら、下記記事もご覧ください。
マレーシアで転職して予想外だったこと
1つだけあります。
それは、仕事が決まって働き始める頃の私の全財産が1万円を切っていたことです。お話になりません。(笑)
マレーシアに渡ってからは、安いホテルに仮住まいをしていました。
スリーエムに仕事が決まったのは、マレーシアに入国してから1ヶ月後のことです。
実際に会社で働き始めたのは、それから更に1ヶ月後でした。
この間に、私の貯金は全て底を突きました。
本当に恥ずかしいお話です。(笑)
マレーシアに渡る前に、韓国で小さな飲食店を開業したのですが、そのビジネスは失敗してしまいました。
そこからのマレーシア転職でしたので、経済的な余裕は一切ありませんでした。
海外転職のために貯金していたお金も、日本での準備期間中にどんどん減っていき、マレーシアに持って行くことができたお金は80万円程しかありませんでした。
当時、どのようにお金のやりくりをしていたのか記憶が曖昧なのですが、ホテルに1ヶ月住み、新しい家の保証金と前家賃を払い、生活費、家具などを購入したら一気にお金が無くなったことだけ、よく覚えています。
ですが、背水の陣を敷いて、運に助けられたマレーシア転職でしたが、素晴らしい企業に転職することができた経験は自信に繋がりました。
夢は行動することによってのみ実現する
片道切符を持ってマレーシアで転職を成功させたことによって、学んだことが一つあります。
それは、自分の夢は自分自信の行動によってのみ実現することができるということです。
この原則は全てに当てはまります。
今よりも良い仕事に転職したい、お金が欲しい、海外旅行に行きたい、海外で住んでみたい、休みが欲しい、痩せたい、カッコよくなりたい、資格を取りたい、英語ができるようになりたい、料理ができるようになりたい、起業したい、なんでもいいです。
人生は自分の思いから全てが始まり、行動によってのみ具現化することができます。
一つ残念なことは、夢を語るとほぼ間違いなく、あなたの反対をする人が現れるということです。
「あなたに出来る訳ないじゃん。」
「そんなことして意味があるの?」
「失敗したらどうするの?」
「今のままがいいのに、もったいない。」
「どうせ、諦めることになるから時間の無駄じゃん。」
「あなたのためを思って言ってるんだよ。」
このようなことを言われて、あなたが行動を辞めたのなら、それはあなたが本当に望んでいたことではなかったということです。
あなたが尊敬する人の中で、周りの言うことだけを聞いて成功した人がいるでしょうか。
何をやっても、批判や反対は出てきます。
夢を叶えるためには、そのネガティブなエネルギーをポジティブなものに変えるだけの熱量が必要になります。
行動しても、ときには上手くいかないことがあるでしょう。ひょっとすると上手くいなかないことの方が多いかも知れません。
しかし、失敗しても大丈夫です。
失敗から学ぶことで、その失敗は成功の糧になります。
思い立ったら、すぐに行動すること。
そうすれば、今まで見たことなかった景色に出会えるはずです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたの海外転職の成功をお祈りしています!
清家 秀俊
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