見出し画像

ククルス・ドアンの島!(ネタバレあり)

これを書く前にCDBさんの素晴らしい記事を読んでしまったので、まずはこれを読んでくれい!そして自分はCDBさんの書いていない部分や見えてきたものについて書いてみようと思う。ちなみにCDBさんの記事は無料部分だけでも納得の行く内容です。

さて、リアルタイムでファーストガンダムを見た世代の自分も、実際に見始めたのは「激闘は憎しみ深く」あたりからなので、実は元作品である15話は本放送では見ていない。

再放送で見たときも、特に注意せずに「流し見た」ような記憶がある。伝説の「作画崩壊」回だというのもかなりあとになって認識したと思う。

ただ、ジオンの脱走兵が、同じジオンのザク同士で戦うというビジュアルのインパクトと、「子どもたちの親を殺したのは自分だ!」という絶叫とも言えるドアンの告白のインパクト、この二つは今も記憶に残っている。

実は今回の映画では、このドアンのセリフは出てこないし、最初の方の回想シーンで一瞬で背景描写が終わってしまって「あれ?」と思ったのは確か。しかし最後まで見たときに「あ、別に前回そのままをコピーする必要なんてなかったんだな」と納得できた。

安彦監督のブレーンとなったカトキハジメらが、ドアンのザクは面長でなくては!ドアンのザクはヒートホークと正拳突きだけが武器です!あと石も投げる!ジオン軍の追手のザクはルッグンにぶら下がってこなくては!などのファーストガンダム愛を見せてくれたおかげで、本放送15話との「繋がり」が強くなったのは確かだろう。それも、それらを大真面目に理由をあとづけして「これならあり得たかも!」という画作りをしてくれたのも楽しい(ただしルッグンにザクがぶら下がれるのはやっぱ無理なんじゃね?ルッグンもミノフスキークラフトだということ?)。

そして、オリジン版の時系列だから、リュウじゃなくてスレッガーがいるという、妙に初々しいホワイトベースの面々。これが良かった!

ブライトがミエミエの芝居を打って、なかば公然と「無許可出撃」をしてガンペリーとガンキャノン2機、コアブースターとジム1機という、ガンダムを除いたホワイトベースの総戦力を投入してのアムロ捜索に出向くわけだが、戦力を考えたら、実態不明な敵と一戦交えてアムロを取り戻す気満々としか思えない。しかしその面々も早々にやられてしまい、まともに戦わなかったのもお約束として良い!得に、やっと出てきたスレッガー!と思った途端にズッコケるのもお約束?ながら、いかにもなところもよろしい。WBメンバー総出による露払い、といったところか。

確かに、リアルに振って描写した場合、この戦力でサザンクロス隊と総力戦となってしまったら、あの小さな島で子どもたちの安全どころの騒ぎじゃなくなるだろう。

そうやってあっという間にドアン対サザンクロス隊、そしてドアン対エグバ、そして満を持してアムロのガンダム登場となる。うまい!

そういう細かな設定の積み上げや、考え抜かれた脚本が素晴らしいものであったと思う。結果的に、多くの人が言及していることではあるが、ガンダムを知らない人にもぜひとお勧めできる、後味の良い映画になったと思う。


あとは、高機動ザクって今までの作品にも出てきたの?今回が初出?ホバー起動してるんだなとは思ったけれど、見た目がザクなので「こんなMSあったっけ?」とちょっと混乱した。オリジン版の時系列ではジャブロー戦がオデッサより先だから、すでにドムとホバー機構MSが登場していても不思議ではないということなのかな?


余談ながら、小説版の「ククルス・ドアンの島」は今回の映画版をもとに書き下ろされたものらしく、ドアンとサザンクロス隊の面々、特にエグバとの仲が踏み込んで描かれており、エグバがガンダムに倒されたザクを降りてからの、ドアンとの最後の決闘も描かれており、これがなかなかにインパクトが有る。

子どもたちの父親代わりとしての、戦争を忌避するドアンのメッセージはこの小説版のほうが強烈で、そのまま映像化されたらかなりの衝撃になったことだろう。しかし、映画版はエンターテインメントとのバランスを考えたのか、本放送15話をなぞるように、ガンダムがドアンのザクを海に放り投げるシーンと、それを非難する子どもたちに「彼はとても良いことをしたんだよ」とドアンに語らせている。

そういう見方では、過去のトレースを効果的に行い、またオリジナル部分も効果的に取り入れて構成したことで、上質なリブートになったと思う。

ツイッターの反応で「久々に心温まるガンダム映画を見た」という投稿があり、共感を得ていたが、そのとおりなのかもしれない。

安彦監督は「もうカンダムには思い残すことはない」と言われていたが、たしかに納得できる映画の仕上がりではあった。ガンダムファンとしては、ミハルのエピソードを!とか、他のエピソードも見たいところではあるが、こんなに爽やかに終われる話はククルス・ドアンだったからなのかもしれないとも思う。

ところでコミックスにも「ククルス・ドアンの島」があるのだが、ドアンは主役と言うより「逃亡した伝説の隊長」という位置づけであり、主人公は「残された元ドアン隊の兵士たち」なのだろう。

ドアンの背景をより想像力豊かに埋めるのには良いかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?