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シン・エヴァンゲリオン劇場版

25年前のことを思い出した。

知人が送ってくれたVHSテープに録画されたエヴァのTVシリーズを、当初は何とは無しに見ている内に、取り憑かれるように見てしまっている自分に気がついた。自分はこれを見なくてはならない、なぜだか理由はわからないけれど、これは自分と無関係な絵空事ではないのだと。当時はそんなふうに言語化できなかったが、ストーリーなのか何なのかわからない何モノかが自分の心臓をギュワーッっと握り潰そうとしてくるその理由を知らずにはおれない。何がこんなにも自分の心を締め付けてくるのか、とにかく何度も見ずにいられなかった。

夜中にふっと気がつくと目が覚めてTVの前に座ってしまうことが何度もあり、やがて気がついた当時の妻が何をそんなにしてまで見る必要があるのかと呆れながら尋ねてきた時、思いがけず自分の口から出たのは

「アスカがあまりにもカワイそうで心が痛い(泣)」

というものだった。今ならわかる。必死に誰かの期待に応えるために無理やり陽キャで頑張るアスカがあまりにも報われないのが辛くて苦しくて苦しくて、、、。もちろんそれは、ゲンドウそのもののような強烈な父親のもとで、必死に自我を確立しようとしていた少年時代の自分自身を、アスカやシンジに見い出していたからなのだ。当時既に30代の新婚で、オタクを隠してイッパシの普通の大人を気取っていた自分は、無理やり首根っこを掴まれて引き戻されたのだ、お前は全くもって何も変わっちゃいないゾ!と。

それに対する当時の(オタク耐性のまったくなかった)妻が、

「何言ってんの気持ち悪い」

と言ったのは、今思うとちょっと出来すぎというものである(もちろん旧劇より前のことである)。その後いろいろあって別れた妻は、何年か前に安野モヨコの「監督不行届」を読んで、やっと当時の夫が何を言っていたのかわかったそうである。宇多田ヒカルがエヴァにどっぷりとハマり、新劇の主題歌シリーズを歌うくらいの時代なのだ、オタクも関係諸氏の奮闘のお陰でずいぶんと理解されるようになったものだ。ありがたいものである(下記リンクは昨年書いたnote記事)。

本題に入る前に随分長い思い出話を書いてしまったが、要するにシン・エヴァンゲリオン劇場版を見てきたという記録のために書いている。良かった。
本当に終わった!
80年代にDAICON3や「丈夫なタイヤ」を見て以来、なんだかんだとその人生をフォローしている庵野秀明監督の、文字通りの半生がまるごと詰まっているような、文句なしの完結編。

TVシリーズや旧劇場版を踏まえた上での、映像だけではないあらゆる技術進化を盛り込み、そして本論・核心はずっと変わってこなかったことを証明してくれたように思う。自分を消さず、貶めず、存分に生かした上で、父親とも、家族とも、他者ともやっていけるようになるために何が必要なのか?

そのために世界を滅ぼすようなことではあるまい。しかし、内にこもったオタクたちの内面では、自分たちを蹂躙する世界に対する怨念がこれでもかと込められており、「こんな世界は滅ぼしてやる!」と声なき絶叫で身を焦がしたオタクたちの内面を、これほどまでに明確に、それも商業ベースで表したことを称賛したい。

そのうえで、観客に希望を与えている終わり方。「監督不行届」のあとがきで、庵野監督自身がパートナーの安野モヨコ作品のことを「現実に還るときにエネルギーを残すようなマンガ」と評していたのだが、最近の庵野監督作品、ことに今回は希望を与えていると思う。この作品に限らず、結婚後の庵野監督に対する安野モヨコ氏の影響は本当に素晴らしいと思う。愛だね。

だから、アスカもきっと救われたんだよね?
ゲンドウも、冬月も、加持も、ミサトも、、、。
TVシリーズ当時はミサトや加持に近い年齢だったのが、今やゲンドウや冬月の年代になってしまったこの年に、この作品を体験することができたのも感慨深い。パンフレットで親となった声優陣も語っている通り、自分たちも親となってこそわかる、語れる内容が暖かく、じんわりと来た。

だからこそ、最後はこのセリフで。

「ありがとう、そして、おめでとう」


PS. ラストのシンジの声、緒方アニキじゃなくて神木隆之介だったのね!
PS2. エンドロールで宇多田ヒカルの歌声が流れてきて、やっぱり幸せだったな。


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