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なんとなく日記 YesでもNoでもなく(それにしても40年も経って)

1月7日、神戸で高校時代のアメフト部の集まりがありました。毎年年頭に我が市立西宮高校と県立星稜高校の現役&OB戦が組まれていたのですが今年をもって終了となりました。コロナと少子化の影響で単独チームも組めなくなり存続が難しくなったようです。他にも理由は色々あるのでしょうが時の流れ。アメフトに限らずラグビーや野球も、公立高校は私立強豪校にはいろいろな面で太刀打ちができずに部員の減少が続いているようです。

さて、この赤いジャージはOB会より贈られた記念ジャージ。そう。還暦の赤です。僕は家族に「赤いちゃんちゃんこ」的な行事は激しく拒絶宣言をしていたのですが、この通り、喜んで着ています。

写真のメンバーの何人かは東京にいて年に2〜3回は食事をしてるので特に懐かしいというわけではないのですが、このようにアメフトのスタイルをすると一気に高校生になります。卒業から42年。

TVで有名になったとか、移動は必ずファーストクラスとか、日経新聞にコメントが載るとかそういう人はいません。5000円ワリカンの飲み会を年に数回開ける程度のお金があり時間の都合がつくという感じ。あの頃の未来に僕らはなったのかなあという歌がありましたが、そう言われてもあの頃未来なんて想像してたのかなあ。そんなことはどうでもよくなってただ目の前の日々を過ごしてきたらこうなった。でもこうなった未来(今ね)はそんなに悪くないといいますか、なかなかいい未来なのではないかとも思います。ほら、晴れたグラウンドで、60歳が、高校時代の背番号の赤いジャージ着て写真に収まるなんて。夜はOB会があり、実に42年ぶりのM君も参加してくれました。特に何を話すわけでもないのですが、お互いに、まあ、なんか知らんけどよかったねえ、という感じでした。

2次会ではカラオケに行きました。M君は練習終わりにドリフのヒゲダンスを踊ってみんなを笑わせてました。42年ぶりにM君のヒゲダンスを堪能し腹筋が崩壊寸前まで笑いました。そして佐野元春のSOMEDAYをみんなで歌うというベタで最高の盛り上がりの時間を過ごしました。生きてるだけで丸もうけとさんまは言いましたが、丸もうけという感覚もなくて普通に当たり前にこの日がやってきたという感じ。

特に意識はしていないのですが、年に何回か集まるというのは居心地が良いのでしょう。なんで居心地がいいかというと、このメンバーは居酒屋の店員に横柄な態度をとる人がいないのです。これくらいかなあ。

と、これを書いている時にキャプテンS君から同級生の部員だったA君の載った新聞が送られてきました。A君の妹さんの記事で阪神淡路大震災で亡くなったA君の思い出が綴られていました。すまんA君、やっぱ、生きてるだけで丸もうけだったよ。


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