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60歳リフレクションその3(挨拶)

ただでさえ、ジジイになると存在自体が鬱陶しいかもしれません。わかったよ、うるさいよ、めんどくせーこと言ってんじゃないよ、という気持ちになるかもしれません。確かに歳をとっているというだけでマウントとってくるジジイもいるでしょう。そういう仕打ちをうけたこともあるような気がしないでもない。

でも、まあ、歳をとると、昔はウッセーよと思っていたのだけど、いや、そうでもないなあ、一理あるかもなあ、と思うこともあります。

石の上にも三年。これをジジイが言う時に我慢とセットになっていることが多くて、ウッセーよの代表格でもありますね。会社を辞めると言ってる若者に言ったりしますね。あるいは新入社員に言ったりします。私もウッセーよと思っていましたし、実際、若い時に会社を辞めたりもしました。なのですが。なのですが。なのですが。3回言いましたけど。3年はアレですけど、2年くらいは目の前のことをやってみる。言われた通りにやってみる。そうすれば見えてくるものがある、もちろん良いことも悪いことも。

でも、どう考えても理不尽なブラック企業に3年いろとは言いませんよ。でも、「向いてない」「想像してたのと違う」くらいの理由だと「もったいないなあ」とジジイは思うわけです。せっかく希望して入社した映像製作業界なのになあとか思うわけです。友達にしろ彼女彼氏にしろ会社にしろ、そりゃあ君の想った通りのわけないですものね?

さてしかし。まあ、人それぞれですし、3ヶ月で会社辞めて良い人生が開けることもあるし、早めに別れて正解なパートナーもいる、それが、人生、と言ったりして。なので石の上にも三年は100%正しいわけではありません。

ここで、タイトルに戻ります。60歳になって声を大にして言いたいのは「挨拶はすごく大事」です。嫌な感じがしましたか?「挨拶はしろよ」なんてよく言われましたか?マウントとりながら言われましたか?

嫌なやつに言われたことはこの際忘れて欲しいです。「挨拶は大事」「挨拶は身を助ける」「挨拶は七難隠す」「挨拶すれば得をする」「挨拶はコストゼロなのに効果絶大コスパ最高」「挨拶に気持ちなんて入ってなくてヨシ、とりあえずしとけ」「挨拶する門には福きたる」「部屋と挨拶と私」これ100%正しい、と、思う、んだけど、反論無しでお願いします。

さまざまな人が同じようなことを言っています。松村邦洋さんは、挨拶にスランプ無しと言っています。芸にはスランプがあるけど、挨拶にスランプはない、いつでも挨拶を忘れるな、特にプロデューサーには。と、面白おかしく言っていたような気がしますが(うろ覚えですいません)ほんと、真実だと思います。

挨拶されて嫌な気持ちになる人はまずいません。挨拶すれば可愛がられます。打算は嫌ですか?良いじゃないですか、挨拶なんてタダなんですから。挨拶を交わしておけば相談しやすくもなるし相談されやすくもなります。60年生きてきた結果、あの時挨拶しとけば良かったなあと思った反省も含めて申し上げとるわけですねん。挨拶が上手な人々を見てきて気持ちいなあと思ったり、この人挨拶すればいいのになあと思ったり、ベタな挨拶をする人を見て「媚びてるなあ」と感じつつもわかりやすく媚びているので好感すら持ったり。挨拶する人は助けてもらえます。挨拶する人は仲間に入れてもらえます。挨拶するといい人だと思われます。(勘違いだとしても)
初めて挨拶するには少しだけ勇気がいるかもしれません。このほんの少しの勇気でリターンはすんごいものがあります、ジジイを信じて、お願い。

高校時代の運動部などでは、遠く離れているのに先輩を見つけたら
「チイ〜〜〜〜〜〜〜スッ」と挨拶をしなくてはならない、という謎のルールがありましたが今では懐かしい。こういうの令和の今でもまだあるんだろうか?言われた方も困った顔してたなあ。

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