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宮中の女房言葉でイワシは「むらさき」

前項「紫式部はイワシ好きだった!は後世の創作」の続きになるのですが、室町時代頃に御所や仙洞御所(退位した天皇の住まい)で働く女性達の間で、イワシは「むらさき」とか「おほそ」、「きぬかづき」と呼ばれていました。
これは、例えば『大上臈御名之事(おおじょうろうおんなのこと)』に

大上臈御名之事ー群書類従ー国立国会図書館デジタルアーカイブ
※中央右側が「いわし」の項

一いはし むらさき おほそとも きぬかづき共

女房ことば『大上臈御名之事』

と記されていることで現代まで伝わっています。
『大上臈御名之事』は、著者・成立年とも未詳ですが、16世紀末頃(室町時代)の成立と考えられています。

女房言葉(女房詞)というのは、宮中で働く女官達の間で使われた隠語のようなものですが、それまで秘められてきた言葉がこのように宮中の外に出て来て人々に知られるようになったのが、室町時代ということになるのでしょう。

「おかず」や「おかか」のように頭に「お(御)」を付けたり、「しゃもじ」や「青もの」のように末尾に「もじ(文字)」や「もの(物)」を付けたりなど、いくつかのパターンがあり、現代まで残っている言葉も多いのですが、それぞれの語の語源については、成立の過程を宮中内で記録した文献はもちろん無く、後の世に推察して書かれた文献が残るのみです。

この中で、イワシをなぜ「むらさき」と言うかについては、いくつか説があって、ひとつには、前項「紫式部はイワシ好きだった!は後世の創作」で出てきたように、紫式部がイワシ好きだったから説です。
しかしこれは、そもそものイワシ好きが後世の創作と思われますので、この説も江戸時代頃に作られたものなのでしょう。

もう一つは、鰯の味が鮎に勝るから、藍(=鮎)に勝るとして紫と洒落たという説で、江戸時代初期の儒学者・林羅山(1583~1657)が、儒学の師である藤原惺窩(1561~1619)の話を書き記したとされる『梅村載筆』(藤惺窩 口語 ; 林羅山 剳記)に

梅村載筆(岡本孝[写] 1853)ー早稲田大学図書館
※右ページ後ろから2項目が鰯の記述

鰯ヲ女房ノ詞ニムラサキト云㕝ハアイニマサルト云義ナリ鮎ト藍和訓同シ

梅村載筆 天巻

と書かれています。幕府の御用学者で、博学でならした林羅山は編著書も多く、この時代のインフルエンサーだったと思われますので、林先生の書かれたものは広く読まれ、庶民にも伝わって行ったのでしょう。

これを受けてなのかはわかりませんが、江戸時代初期に京都の僧侶・安楽庵策伝が庶民の間に広く流布している話を集めてまとめた『醒睡笑』(1623年成立)という笑話集の巻之一にある「謂被謂物之由來」(謂えば謂われる物の由来)に、

『醒睡笑 1』(寛永5年写本)ー国立公文書館デジタルアーカイブ(内閣文庫ー和書)
※左ページ中央が鰯の記述

鰯をば上臈がたのことばにむらさきともてはやさるヽ、むらさきの色はあゆにましたといふえんとや、されば下主らしきいわしも、其人のすきなれば、鮎の魚にまさるのよふ、

『醒睡笑』

と書かれています。
いかにも洒落好きの江戸っ子が好きそうな話ですね。
この説については、これまたひょっとすると江戸時代の創作なのかもしれませんが、語源辞典などにも採用される有力な説になっています。

一方、江戸時代初期の医師・本草学者である人見必大(1642頃~1701))は、その著書『本朝食鑑』(1697)の中で、

本朝食鑑 巻18ー国立国会図書館デジタルコレクション
※右ページ中央部「釋名」のところに紫の由来が書かれている。

禁裏宮閨の児女が鰯の賤名を忌みて御紫(おむら)と呼んでいることに触れ、塩粕漬けのイワシの肉が紫黒色であるからか、摂関藤原氏の服色が紫色であるからその美味を賞したものであろうという意のことを書いています。

更にもう一つ、イワシの群れを上から見た時に海面が紫色に見えるから、という説もあるようですが、この説については、江戸中期の儒学者・荒井白蛾(1715~1792)が人からよく訪ねられる物事について記した『牛馬問』(1755)に紫式部由来説とともに、

牛馬問 巻之二ー日本古典籍ビューア
※右ページ冒頭から前項から続く鰯の記述

関東銚子浦などにては鰯の集る時に海の面むらさきなり 故に土俗にいろが見ゆるといふ也 しかればいづれも紫の言葉此魚に縁有

牛馬問 巻之二

と書かれていることが語源となっています。

なお、冒頭に出てきた「おほそ」は、「御細」と書き、細い魚であることから来ていると思われます。

もう一つの「きぬかづき」は、「衣被」と書き、そのままの意は衣を被ることです。平安時代以降、貴婦人が外出する際は単(ひとえ)の小袖(こそで)を頭から被って顔を隠すのが慣わしとなっていたので、衣を被った女性の意もあります。
そこから、サトイモの小芋を皮を付けたまま茹で上げたものを指す女房言葉にもなっています。
これがどうしてイワシを指す言葉になったかについては、裏付ける文献が見つけられていないので不明なのですが、前項「紫式部はイワシ好きだった!は後世の創作」にある紫式部や和泉式部の逸話にも見られるように、下魚とされたイワシは女房達がおおっぴらに食べるものでは無かったと思われ、衣を被るように隠れて食べたからなのかもしれません。

いずれにしても、イワシは古代から日本人に愛されてきた魚なんですね。

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