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【コラム】「間違い」たくない

僕は「間違い」に厳しいです。
この「間違い」とは誤字・脱字とか、仕事のミスとか、そういった類のものではありません。
ちょっとしたニュアンスを汲み取るのを「間違う」ことです。その「間違い」に対し自他ともに厳しいです。

この「間違い」の説明が文字面だと難しいのですが、自らやってしまった事例があります。↓です。

オープニングトークで「この会話セクハラですよね?」的なトークや、ルッキズム云々というトークをしているのですが、そこで大久保さんが僕に対して「天パメガネは?」
と質問してきたのですが、これは聴き返してみると、いわゆる「ボケ」「おふざけ」のニュアンスだったと思います。なので僕は「おい!」とか「これもセクハラですよ!」という、いわゆる「ツッコミ」を入れなきゃいけなかったのですが、そのまま受け入れてしまいました。
これがいわゆる「間違い」です。
相手がわかりやすく求める反応を出来なかった事を「間違い」としています。

これを自分がやらかしてしまうと非常に落ち込みます。
僕の人としてのストロングポイントに「間違えない」があると感じているからです。
というのも僕は20代ずっと「間違い」続けていました。
他人のボケではない言葉を変につっこんだり、ふざけてるだけなのに真面目に捉えたり、そんな事ばかりして、その度に先輩から「あれは間違い」「間違えすぎ」と言われ続けていました。
この「間違い」という概念もその先輩が言い始めたものだと思います。
作家と名乗り始めてから、自分なりに勉強してきましたが、この「間違い」についてはかなりの失敗体験から、「間違えない」事については精度が高いと思っています。なので非常に悔しいのです。

また事例として挙げた『大久保佳代子とらぶぶらLOVE』への好意的な感想として、「聞き上手」と言っていただく事が多いのですが、これは「間違えない」事をずっと意識しているからだと感じてもいます。

逆に言うと誰かと話しをする上ですごく面白い話、経験談、瞬発力、ボケなんかを繰り出せる訳ではないので、「間違えた」時のマイナス、自分の中での落ち込みはとてつもない。すごく悪く言うと取り柄なしです。
なので先述の収録後は結構落ち込みました。反省もしました。70回以上収録してますが、過去一の「間違い」でした。細かいのは自分判断ではちょくちょくしています。

なお努力次第でかなり「間違い」は減らせます。
なので僕は他人の「間違い」にかなり厳しいです。努力次第だと思っているからです。
普段の会話でも「間違える」ヤツが現れたら一気にげんなりするし、ラジオだったり、生の舞台で「間違い」をする奴が現れたら目を覆います。
ラジオは聴くのやめる時もあります。

また僕基準ですが「間違えない」ヤツは男女ともにモテます。
会話がスムーズだし、真面目とおふざけを声のトーン、空気感、表情等々で読み分け上手く立ち回るからです。「間違えない」のは最大のモテ要素です。

ちなみに僕は「間違い」をだいぶ減らしているはずなのにモテていません。なのでモテる、モテないについてのエビデンスはガバガバです。

「間違えない」=モテる が誤っている

こんな記事を書いた僕が普段間違えまくっている

のどちらかです。
まあモテなくても「間違えない」に越した事はありませんので、日々「間違い」を減らして生きていきましょう。

※他にも「ココ間違ってたぞ!」ってご意見はいつでもお待ちしています。

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