#3 東埼電車戦後史

今回は、戦前の話を考えた前回に続き、戦中・戦後の東埼電車の振る舞いの移り変わりを考えてゆきたい。



大戦期 ─絶頂からの転落

大恐慌の影響は受けたものの、31年に満州事変が発生すると、軍需により景気は向上し、沿線人口も若干の増加を見せた。
1937年、巣鴨駅併設の形で「東埼百貨店」が開店した。これは29年に大阪・梅田に設立された阪急百貨店をモデルとしたもので、極めて先進的な取り組みであった。沿線では、関東大震災前後より急速な宅地化が進んでおり、その活発な連絡需要が形となったと言えるであろう。


37年の日中開戦に次いで、41年に米英に宣戦布告、我が国は二方面作線の道を進んだ。
開戦当初は軍需による景気回復もあって万歳三唱で迎えられた戦争であったが、1940年代前半には、敗色が濃くなっていた。



この時期、東埼電軌は1939年の国家総動員法の制定に伴い、親会社である武州電灯は徴発されたものの、電軌の経営は比較的安定していた。
軍需産業の拡大によって、沿線に多くの軍事拠点を有する東埼電軌の需要も拡大。輸送力不足に駆られ、この年間には多くの中型ボギー車の発注に至っている。


各電鉄は統合されつつあったこの時代であったが、終戦まで東埼電軌は公営化も、他社との合併もしなかった。
1944年末ごろより、本土決戦体制(末期戦体制)の構築が叫ばれる様になり、東埼電車も急行運転中止での電力消費削減や、無灯火/減光運転という形で灯火管制に協力した。


1945年3月10日、米軍爆撃機300期余りが東京上空へ来襲、城東から四谷までの一帯を焼き払った。東京大空襲である。東埼沿線の軍需工場も標的になれど、鉄道施設への被害は「比較的軽微」であった。12日に荒川以北、翌月1日に荒川以南が復旧。幾許か東埼の車両は東京都電に応援へ向かった。この時東埼車としての識別のために青帯が塗られたことが、現在の東埼のカラーリングの源流となっているという説があるが、真実は定かではない。


この後にも空襲は相次ぐが、埼玉県下の沿線では、甚大な被害を出すような空襲に見舞われることは無かった。画して、45年8月15日に、東埼電車もまた、終戦を迎えたのであった。


暗黒期 ─カオスの時代

この様にして、東埼は戦後を乗り切ったわけであるが、東埼の場合、むしろ戦後の方が大変だったという。終戦直後、サプライチェーンの破綻により我が国は食糧難に陥った。都市部から農村へは、食料の調達、農村から都市部へは生活用品の調達と、東埼電車には明日を生きるため、人々が殺到した。
しかし、東埼電車も戦災や、車両部品の不足により、保有車両の2割しか稼働しなかった時期さえあり、この人々への対応に骨を負ったようである。


1948年、混乱と統制の中を縫って一編成だけ新製された新型急行電車・700形が、浅葱色を纏い東埼間を駆け抜けた。急行運転の復活である。この新生急行電車は東埼電車における復興のシンボルとなった。
この頃になると、食糧難も収束の兆しを見せ始め、戦時中から発注していた新造車も入線、極度の混雑も落ち着き始めた。


成長期─高速電車への脱皮

1950年に北朝鮮の南侵を端とする朝鮮戦争が勃発、日本はこれの後方拠点として、軍備品の生産修理を請け負った。これに伴い日本の景気は向上し、経済復興への道筋が見え始めた。52年のサンフランシスコ平和条約発行に伴い、我が国の主権は回復、それとともに経済復興も急速に進展していった。この時期、人口は東京近郊への一極集中へと傾き始め、東埼電車も対応に追われることとなった。それまで普通電車は2、3両の小型車によるものであったが、全列車が中型車5両に統一されたため、各駅での対応工事は相当苦労したようだ。1966年には、東埼最後の併用軌道であった板橋中宿付近が専用軌道化され、全線専用軌道化を達成した。この時代には、カルダン駆動の16、18m車が入線する様になり、弱小軌道から高速電車への脱皮を果たしたということになる。


1962年、都市交通審議会答申第6号において、第6号線として「西馬込-泉岳寺-大手町-巣鴨-志村間及び埼玉県南部(大宮)方面」というルートが策定された。65年にこの路線は、都営6号線及び新東埼線として着工、72年には、新東埼線とともに志村橋-新巣鴨-日比谷間の開業に至った。
これの開業によって東埼線は都下区間において複々線化を達成した。これらは日比谷-浦和中町間において相互直通運転を行なった。今日ではこの南限は相鉄線まで拡大している。


68年には新型特急車2000形が導入され、東埼間を駆け抜けた。また、一般車の増備も続き70年代末には、20m車が8両編成を基本とする現在の東埼電車の骨子が形成された。


参考?:東埼電車 車両遍歴

これが戦時中から高度経済成長期までのざっくりとした東埼電車の通史である。
次回は平成から令和にかけて、今日の東埼電車の概要を紹介したいと思う。

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