【小説】 透明人間も感染症が怖い

透明人間になれたらどんなことをして過ごそうか、そんな想像を誰しも一度はしたことがあるのではないだろうか。

そうした願望は創作物にも表れている。透明になれるマントは魔法界にも未来のデパートにも存在するし、未来の世界には被ると誰にも認知されなくなる帽子も存在する。

そもそも誰がはじめに透明人間という概念を創造したのだろうか。少し前までの私はそう考えていた。

透明人間なんて空想上の産物でしかなく、その存在はあくまでフィクションだ。そう信じて疑わなかったのである。あの時までは。


私の勤める会社にはエントランスに非接触型の検温機が設置されている。手をかざして体温を計測し、そのまま消毒用アルコールを噴霧してくれる優れものだ。

脇に挟んだりする体温計と比べると精度に欠ける部分こそあれど、大まかな体温さえ分かれば問題ない。発熱の有無を確かめることだけが目的なので、それさえ果たしていたら精度は問われないという訳だ。

出社時や外出から戻った際には検温と消毒を実施する決まりとなっており、日々多くの従業員がその機械を使用している。

設置箇所の関係上、使用しない時にも機械の前を何度も通る。お手洗いに行く際や他のフロアを行き来する際には検温機が設置されている廊下を通らざるを得ないためである。

ある日、お手洗いに行こうとした際に、検温機から音声が聞こえてきた。

「36.4℃です。手を消毒してください。ご協力ありがとうございます」

馴染みのある音声の先には馴染みのない光景が広がっていた。

機械の前には誰もいなかったのだ。私だけが佇む廊下に機械的な音声がこだまする。


誤作動か?そんな考えが脳裏を過ぎったが、納得できない点がある。

検温の機械にはセンサーが二箇所存在し、検温のセンサーと消毒のセンサーは独立している。

検温のセンサーに手をかざした後に消毒のセンサーに手をかざさない限り、先程のような音声は流れない。

また、体温が通常のように計測される点にも違和感を覚える。誤作動であればおそらくエラーとなり、体温は検知されないはずだ。

ポルターガイストや何らかの心霊現象だろうか?一度はそう考えたものの、何だか違うような気がする。

幽霊ならば人間の平熱のような数値を機械に返されることはないだろう。

それに加え、姿は見えないものの何故だかそこに人がいるように思えてならないのだ。

「透明人間……?」

思い浮かんだ一つの可能性を、私は気付かぬ内に口にしていた。

当然、反応はない。私が仮に透明人間だとしたら聞こえていても返答はしないだろう。返答していても伝わらない可能性もある。

こんな話を誰かにしても信じてもらえないに違いない。
機械の誤作動だと笑い飛ばされるだろう。

しかし、私は信じたい。この世に透明人間が存在していることを。

透明人間も我々と同じように病気に罹ったりするのだろうか。新型コロナウイルスへの感染を警戒し、人知れず検温と消毒に勤しんでいると思うと何だか可愛らしく思えてきた。

せっかくだから、仲良くなれたら良かったのに。




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