写真日記(2020年7月26日)

今日は朝早く出発し、ずっと行きたかった場所に行ってきました。人力車が行き交い、観光客も戻りつつある京都嵐山。その喧噪から少し離れ、さらに北に進むと、嵯峨の山間の静けさの中、ひっそりと佇む古刹があります。

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愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)。

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戦中に無住寺となり、長い間荒れ放題だったこの寺。昭和30年に仏像彫刻家西村公朝氏が住職となったことから、この寺の復興が始まりました。

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どこから来て、どこへ行くのかもわからない私たち。人間は誰しも、一人生まれて一人往く。この人生に果たして意味や目的はあるのでしょうか。

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住職の呼びかけに賛同した熱心な信者たちが、全国各地から集まったそうです。彼らの手によって彫り上げられたという1,300体にのぼる羅漢像。その一体一体に込められた想いとは、どんなものだったのでしょうか。

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時にそれは祈りであり……

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懐かしい誰かの、笑顔の面影だったりするのでしょう。

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人生はただ過ぎゆくだけと言うならば、一体何が何を過ぎゆくというのでしょうか。自分自身も含め、多くの人が何か大切なことに気づかないまま人生を終えてしまう。何だかそんな気がしました。

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苔むした数多の想いに囲まれて、静かに自分自身と対話する。「無所属」の時間。そんな時間を与えてくれる素敵な場所でした。

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とても小さな蕾。手も足も顔もなーんにもないのに、大きなエネルギーだけはしっかり持っているようです。

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その隣で、美しく咲き誇る花。どうしても、そういうふうに見てしまいますね。花は一生懸命咲くわけでも、いい加減に咲くわけでもなく、ただ咲くだけ。そして時が来れば何の未練も残さず朽ちてゆく。我々は、その潔さに「美しさ」を感じるのかも知れません。

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帰りがけに出会ったこの言葉。その意味を考えながら、ペダルを漕ぐ足。この足で歩んでゆくしかない。誰のものでもない私の足で、私自身の人生を。

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もう一カ所行きたいところがあったのですが、雨が降り出したので、諦めて帰宅しました。早く梅雨開けるといいですね。

今日も読んでいただき、ありがとうございました!!

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