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ゴミ焼に行きたい

 毎週末、子どもを連れて母がいる実家に行く。狭い集合住宅で仏壇がない暮らしなので、実家に行くと一番に拝むことにしている。上の子が小学3~4年生のころ、仏壇のロウソクにマッチで火をつけさせてみた。とても不安そうな顔をして何度もやり直した。火がついてからもなかなかちびた芯(しん)に火がつかず、そのうちに指が熱くなって慌ててマッチの軸を落してしまうありさまだった。それは見ていてイライラする光景だった。今思うと、イライラしながら見ている親の視線を背中に感じながらマッチを擦るのはプレッシャーだった思う。

 それから下の子が後を継ぐまで、マッチ擦りは上の子の仕事になった。週に一回でもずっとやっているとうまくなるもので、上の子はマッチが擦れる。そりゃマッチぐらいだれだって擦れるに決まっているんだけれども、やっぱりやったことがないとうまくいかないものなのだ。

 最近は下の子がマッチを擦る。上の子がああでもないこうでもないと言いながら、批評家のような目で見ている姿を見て、ああ私もこうやっていたんだなと思った。これじゃあ緊張もするはずだ。私が子どもだった頃はマッチは必需品で、誰だって擦らないことには生きていけないものだった。当り前すぎて、わざわざ訓練するという発想がないほどだった。

 しかし、今は大人が意識してさせない限り、子どもはマッチに触れることすらないほど縁遠い品物になった。

 以前わが家は商売をしていたので、商品をこん包してくるダンボールなどがたまると近くの海岸にゴミ焼きに行った。父と一緒に行ったのだが、長じてからは一人でも行かされた。

 上手くやらないと短時間にしっかり燃やせない。ゴミの置き方、くべ方にも工夫がいる。ゴミが湿気っているとなかなか火がつかない。風のあるときもつきにくいが、一旦燃え出すと今度は危険だ。きっと親父は私のすることを危なっかしい思いで見ていただろう。

 火というものはすごい威力を持ったものであると同時にとても危険なものだということを、何回も何回も失敗する中で学んだ。今、私が火が扱えるのは、何千回何万回とマッチを擦ってきたからなんだと思う。そんな私が、たった数度しか擦ったことがない子どもの手つきにイライラしてしまうなんて矛盾だと思うのだが、思ってしまうものはしようがない。

 ああ、久しぶりに子どもたちを連れてゴミ焼きに行ってみるかな。でもどこへ行けばいいんだろう。

【2003年、リビング福岡南「父子手帳」の原稿】


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