映画『枯葉』をみたら”スタイル”について考えていた
映画『枯葉』をみた。良い時間だった。
感想とか考察とか、考えること自体もはや無粋だ。
こういう気持ちになってしまう映画は他にもある。
例えば、ニコラス・ウィンディング・レフンの『ドライヴ』、クエンティン・タランティーノの『パルプフィクション』、ポール・トーマス・アンダーソン『リコリスピザ』など。
物語自体に強い主張がなく、何気ない感じで、映画としては比較的、特別なことが起こらないところが共通点だと僕は思っている。
そして、もう一つの共通点は、物語よりも”撮り方”で、面白さを出している映画、ということだ。
何年か前、こういった映画を”スタイルの映画”と呼ぶことを知った。
映画『ドライヴ』の解説動画でライムスター歌丸がそう言っていたからだ。
(この解説動画は面白くて、思い出しては何回も見ている)
最近観た、『aftersun』もスタイルの映画だ。
(と、言いつつしっかり考察をしてしまった)
僕は、映画も好きだけど、小説も好きで、小説だと、僕の好きな保坂和志の書く小説は、同じように”スタイルの小説”だと感じる。あとは、チャールズ・ブコウスキーの『パルプ』なんかにもスタイルをビンビンに感じる。
そして、僕は映画も小説も好きだけど、音楽も好きで、音楽だと、ミッシェルガンエレファント、中村一義、ゆらゆら帝国などからもその雰囲気を感じる。
と、ここまで書いて、
「それぞれどんなアーティストにも、そのアーティストなりのスタイルはあるんだから、なんか基準がよくわからない」
というツッコミが入ることは必定で、実際のところ、僕が感じているスタイルというものが、スタイルと呼ぶべきものなのか、はたまた別のバイブスなのか、その辺りは正直なところよくわからない。冷静に考えれば、客観的な基準があるわけもなく、めちゃくちゃ主観的な振り分けを行なっているはずなので、そもそもあまり共感を求めて書いていない。
なので、スタイルについては、一旦置いておくとして、
『枯葉』について言えば、驚くほど、言えることがない映画だと思った。
ただ、これは理想系でもあるな、と思った。うまく言えないけど。
単に中身がない、ということではなく、中身を必要としないくらいのスタイルを持っているということか、じゃあ中身とは何か?
おそらく、ここで言う中身とは、大袈裟な演出だったり、派手なバトルシーンだったり、わかりやすくて共感を誘うメッセージ性だったり、納得感のある飲み込みやすい要素のことなんじゃないかと思う。
そういうものがあれば、作品やなんかを、割と簡単にこういったところが良かった、みたいに喋ることがしやすいんじゃないかとも思う。
『枯葉』には、そういった要素をほとんど見出すことができなかった。
面白かったところもたくさんあったけど、それは文章でその面白さを書くことができない。
言葉で代わりに要約して表せないようなものが、つまりスタイル、と言うことなんだろうか。うーん、わからない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?