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シャッタースピードはお任せで

 日常生活で様々なことを覚えないといけない時、私は画像や映像を切り取って形にして記憶していて、電話番号やちょっとした数列でも読まずに画像として取り込むような気がしているし、その記憶したものを思い出すときもファイリングしているフォルダの中から画像を取り出してそこに描かれている数字を読み上げるようにしている。
 すこし昔に「脳トレ」というジャンルで携帯型ゲーム機のソフトが大ヒットしていた時は、10桁くらいの数字を記憶するくらいなら一瞬でみて写真を撮るようにして覚えていた。それこそアニメのキャラクターを録画も見ずに落書き帳に時間も忘れて何度も描き続けていたこともあった。

 先日、私が毎週聴いているポッドキャストの番組の中で、前回記事にした浅生鴨さんたちが文学フリマで販売した同人誌の感想を話されていて、その番組でリスナーからも「先輩」と呼ばれている方が「本を読むときに色が浮かぶ」と言っておられて、そうかあ、なるほどなあと思った。
 私は本を読むときどうだろうなあ。色よりも一気に映像として絵がはっきりと頭に思い浮かぶかもしれないなあと。挿絵の方の絵にひっぱられがちになるのですが、確実に絵として思い浮かんでいてそれを動かすところがある。

 最近なんとなく感じているのは、その記憶の画像フォルダに入っている写真はどうもデジタルではなくアナログなようで年々画像が色あせてきている。一枚一枚が薄くセピア色になっていく気がする。見えていたものがはっきりとしなくなっている。フォルダもデジタルでなくて紙製だったのか経年劣化が起こっているように感じる。何かが零れ落ちるようで胸が苦しくて仕方ない気がしてくる。呼吸も乱れそうだ。

 そうだ、これからはカメラで沢山写真を撮ろう。いい具合に私はカメラを持っている。そして画材を広げて絵を描こう。なんと私は妹に「文房具屋」と言われるくらいに紙も鉛筆も画材も持っている。
 記憶に残るものと記録されるものと用意しよう。そのために子供のころから絵を描いていたのかもしれない。

 片道切符の人生には巻き戻しのできない写真や絵の連続をたぐりながら見えない道を歩くしかない。