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小水力発電こそ、日本列島の自然と調和したエネルギー。

原発はこの日本に必要なかった、1986年時の中曽根総理大臣が核の平和的利用と詭弁で被爆国の日本へ核施設を無理やり導入したとされているのだが、諸説あり・・・・。(狭い日本へバランス良く54基もの人間が扱えない危険な物を配置、有事の際には一番狙われる場所と国際的認識がある)
ダム建設に賛成とは言わないが、既に作られたダムをしっかり利用しなければダムに沈み犠牲を払った村や町に申し訳ないと感じているのです。

小水力発電こそ、日本列島の自然と調和したエネルギー。
http://blog.jog-net.jp/201912/article_1.htmlhttp://blog.jog-net.jp/201912/article_1.html

■1.ダムを増やさずに水力発電量を2,3倍にできる

「ダムを増やすことなく、水力発電量を二倍、三倍に増やすことが可能」「純国産でまったく温室効果ガスを発生しない電力が、毎年、金額に直して二兆円から三兆円分も増加する」と指摘するのは、建設省(現・国土交通省)で長らくダム・河川事業を担当してきた竹村公太郎氏。その経歴だけでなく、提案の内容も素人にも判りやすいだけに説得力がある。

 氏が提案する、水力発電量を2、3倍にする方策は次の3つである。

1) 現在のダム湖の水位は半分ほどに抑えられている。これをフルに貯めれば、発電能力が上がる。

2) 現在のダムの嵩上げをする。100mのダムを10m嵩上げすると、発電能力はほぼ倍増する。

3) 砂防ダムなど、発電に利用されていない非常に多くのダムがある。これに小電力発電の施設を設置する。

 以下、項目毎に見ていこう。


■2.60年前に決められていた水位の制限

 水力発電ではダム湖の水が多いほど、発電量が増える。水位が上がることで落下する水の勢いが増し、電力は大きくなる。また水量が貯まっていれば、雨が少ない時期でも一定量の発電を維持できる。

 しかし、通常もダム湖の水位は半分くらいに抑えられている。大雨の時に、なるべく大量の水をダムに貯めて、下流の氾濫を防ぐためだ。昭和32(1957)年、すなわち60年以上も前に制定された法律でそう決められ、根本的には一度も改正されていない。

 今日の進んだ気象予報技術では、台風の接近する数日前には降雨量もスーパーコンピュータで予測できるので、その時点で予備放流して水位を落としておけば十分なのである。したがって通常時は水位をもっと高くして、発電量を大きくすることができる。


■3.高さ1.6倍の嵩上げで、貯水容量5倍近く

 第二の手段は、既存のダムの嵩上げだ。良い実例がある。北海道の夕張シューパロダムは、高さが67.5mだった。その高さを110.6mと約1.6倍にする工事が行われ、貯水容量は8700万立メートルから4億2700立方メートルへと、5倍近くにもなった。

 ダム湖はアイスクリームのコーンのように、上に行くほど面積が広がるので、少しのダムの嵩上げが、大きな貯水容量拡大をもたらすのである。

 そのコストはどうか。巨大ダムの建設には数千億円もかかる。しかし、その大部分は水没する村の補償や、代替道路・鉄道の建設費であって、ダム本体の土木工事はせいぜい500億円程度なのだ。既存のダムなら、ほとんどダム本体の土木工事のみで嵩上げできるから、新たなダム建設に比べて大幅に安く上がる。

 竹村氏は建設省在任中に、3つのダム建設に携わった。そこで経験した一番の苦しみは、水没する人々の思い出を失わしめる事だったという。若かりし頃、ダム建設現場の所長にこう言われたことがあった。

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 国は、水没する人々の家屋や土地には補償できる。だが、彼らの思い出には補償できない。俺たちダム屋には、どうすることもできない。それが辛いんだよ。[1, p125]
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 水没する村の人々は、生まれた家、学んだ学校、遊んだ小川、夫婦で将来を誓った神社、先祖を祀ったお寺などすべてを失ってしまう。建物は別の処に移設・新設しても、思い出の景色は失われてしまう。多くの村民たちは、国の発展のためには電力が必要だと自らを納得させて、思い出を失う苦しみを乗り越えてきた。

 そういう犠牲を払って作られてきたダムだけに有効に使っていかなければ、申し訳が立たない。竹村氏の主張の裏には、損得計算だけでなく、そういう思いが潜んでいる。


■4.中小水力発電で農村や中小都市の電力をまかなえる

 第三の手段は、砂防ダムなど我が国にすでに数多くある中小ダムで発電に利用されていないものを有効活用することだ。砂防ダムは集中豪雨があった時に生ずる土石流を防ぐためのものだ。豪雨で山の土砂が渓流に流れ込み、凄まじい勢いの土石流が発生する。大きな岩も流してしまい、流域の橋を壊したり、下流の住宅地を破壊してしまう。

 それを防ぐために、渓流に高さ10mから30m程度の小さなダムをいくつも設けて、土石流の勢いを段階的に抑制する。このダムに発電機を取り付け、ダムから取水して回す。ダムの高さが10mの小さな砂防ダムでも平均200kW程度の電力が簡単に得られる。農家の年間電力消費量は1軒あたり1kW程度なので、200軒分の電力がまかなえる。これを中小水力発電という。

 砂防ダムは一つの渓流でいくつも存在し、さらに一つの川にいくつかの渓流が支流として存在する。ある川に5つの渓流があり、それぞれ5つの砂防ダムがあるとすれば、合計で5千軒もの電力が得られる。これならある程度の大きさの村の全戸の電力をまかなえる規模である。

 環境省の調査では、出力3万kW未満の中小水力発電を新たに開発可能な場所は2万カ所以上あり、それらをすべて開発すると総電力は1400万kWに上ると試算されている。すなわち1400万戸分の電力で、農村部や地方の中小都市の電力供給には十分な大きさである。

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株式会社ZEエナジー 小水力発電システム

■5.農業用水路を使う小水力発電

 さらに小規模の水力発電には、農業用水路を使う手がある。これはかつての水車を発電に利用するとイメージすれば分かりやすい。すでにある農業用水路から水を一部取り出し、パイプの中を流して、その下で発電をする。その後、水はもとの農業用水路の下流に戻す。

 パイプや発電機などの投資で、200kWの規模だと3億円ほどかかる。ここから生じる電力を電力会社に売ったとすると、毎年3千万円もの収入が得られ、設備投資は20年弱で回収完了し、その後は税金や保全のための人件費を除いても、19百万円ほどの収入になる。村が事業主体となれば、相当の収入増となる。また人件費や税金も、一部は地域に戻ってくる。[2, 1203]

 小水力発電の先進事例としては、栃木県那須塩原市がある。平成4(1992)年に340kWの小電力発電を開始して成功し、以後、次々と拡張して、合計6カ所で1500kWの発電が行われている。小水力発電事業の成功例として、全国でも有名となり、見学者が多数来訪している。

 実は、戦後の復興期には全国的な電力不足のために、小水力発電が活躍していた。中国地方では最盛期には200カ所ほどで小水力発電が行われていたという。しかし、その後の高度成長期には主に大都市向けに大量の発電が必要となり、電力会社は大規模ダムの建設、さらには輸入石油による火力発電、そして原子力発電に取り組み、中小水力発電は忘れ去られていった。

 しかし、環境重視の時代となって、環境に優しく、さらに村おこしにも役立つ小水力発電が脚光を浴び始めている。


■6.半永久的に使え、災害にも強いダムは先人からの贈り物

 水力発電がいくら魅力的でも、コストが火力や原子力より高かったら、そのしわ寄せは国民の負担になる。この点はどうか?

 政府によって開かれたエネルギー・環境会議のコスト等検証委員会によれば、2010年のモデルプラントで、1kWhあたり原子力8.9円、火力で最も安いLNG(液化天然ガス)が10.7円、一般水力10.6円、産業用太陽光30.1~45.8円となっている。

 水力発電には現在でもコスト競争力があるが、さらにその大半は資本費、すなわち建設費である。したがって、竹村氏の提案によって、ごくわずかの設備投資追加によって、発電能力が1.5倍になったら、コストは7円台とダントツの低コストとなる。

 しかも、水力発電所は災害に強く、半永久的に使える。阪神大震災に際しても、神戸の布引五本松ダムは建設から95年経っていたが、ダム本体はビクともしなかった。明治以降、各地で大きな震災が起こっているが、全国の何千というダム本体が壊れた例はない。

 その理由は簡単だ。ダムはビルの鉄筋コンクリートとは違って、鉄筋を使っていないから、錆のせいで劣化する心配が無い。コンクリートの塊は、天然の岩と同じなのだ。基礎は杭打ちもせずに、岩盤と一体化させている。しかも、断面は高さと底辺が同じ三角形で、100mの高さのダムは最下部の厚みは100mとなっている。

 日本のダムは万が一の天災でも耐えられるように、十二分の安全を見込んだ強度を持っている。安易なコスト追求をせずに、安全性を追求してきたダム設計者たちの見識のお陰である。

 こうして半永久的に使えるダムは、設備投資の償却が終わったら、原料費がほぼゼロだけに、発電コストもさらに大きく下がる。まさに先人たちの贈り物なのである。


■7.大自然の「循環性」「多様性」に適合した発電方式

 しかし、発電方式を選択するには、コストだけでは不十分である。我々の暮らしに合ったエネルギーの在り方を考えなければならない。

 日本人の古来からの自然観では、大自然は物質、エネルギー、生命の循環からなっており、人間はその循環の一部をいただく事で生かされている。したがって、我々が使わせていただくエネルギーも循環性を持たなければならない。

 そう考えると、火力は石油・石炭・天然ガスを掘り出すために、いつかは資源を使い尽くす寿命がある。原子力は使用済みの核廃棄物が生み出され、また数十年後に原子炉の寿命が来ると、放射能汚染された使用済み施設が残ってしまう。すなわち、火力、原子力は大自然の循環性を阻害するエネルギー源なのである。

「再生可能エネルギー」としては、太陽光、風力、潮力、地熱、バイオマス(木材、生ゴミなどの有機性資源を燃やす)などがある。「再生可能」とは大自然の循環性に従ったエネルギー源という事である。

 もう一つ、大自然の特徴として「多様性」がある。自然は決して一様ではない。寒帯から熱帯、山地と平野、大陸と島国など、土地毎にさまざまな様相を持つ。

 雪と氷に閉ざされたアイスランドでは火山が多いために地熱発電が多用されている。オランダは北海から強い風が吹き、浅瀬も多いので海上風力発電が適している。太陽光発電は広大な面積と安定した日照が必要なだけに、砂漠地帯で使うのがふさわしい。

 こう考えると、日本列島は周囲を海に囲まれた山国で、海からたっぷり水分を含んだ風が山にぶつかって、大量の雨を降らせる。雨は急峻な山肌を流れ落ちて、川となって海に注ぐ。その水の力をエネルギーとする水力発電は、日本列島の自然の循環に適しているのである。

 しかも、日本列島では台風が大雨をもたらし、厖大な水量が河川を氾濫させる。そのための治水の機能をもったダムで発電も行う、というのが、日本列島の自然に適合した在り方である。

 もっとも、海に近い平野部や島嶼部では、水力よりも海流のエネルギーをいただく潮力発電が有効だろう[a]。また日本列島はアイスランドと同様、火山の多い土地柄だけに、地熱発電、あるいは温泉発電に適した土地も多い。

 太陽光発電は大きな面積を必要とするだけに緑地を犠牲にする必要があり、また台風にも弱い。風力発電も地震や台風に弱いだけに、我が国には適さない。なによりも、太陽光発電の黒いパネルや風力発電の回転翼は、我が国の美しい景観を台無しにしてしまう。


■8.大自然の「分散性」に適合した小電力発電

 水力発電の中でも、大規模ダムから農業用水路を使った小水力発電まである。ここでは自然のもう一つの本質である「分散性」の視点から考える必要がある。

 大都市に多くの人口が集中し、その厖大な電力需要をまかなうために、遠い水源地に巨大なダムを造って、長距離の送電線で電力を送る、というのは、エネルギーの集中生産と集中消費であって、自然本来の在り方とは異なる。雨は全国各地に降り、それが各地で多くの河川をなす。この「分散性」こそ自然本来の在り方である。

 水力も本来は大自然とともに分散しているのだが、それでは大都市の巨大なエネルギー需要に対応できないから、大規模ダムを造ってきた。それによって、谷間の村や植生が水没するのも、この人為的な集中の故である。したがって、従来の巨大な発電ダムとは、自然の分散性に逆らった方式である、と言って良いだろう。

 ただ、人口分散には長い時間がかかるし、すでに出来上がったダムを活用しない手はないので、竹村氏の主張する「普段の水位を上げる」「現在のダムを嵩上げする」という対策で発電能力を上げて、自然への負担の多い火力発電を減らす、というのが、短期的には有効なアプローチとなる。

 しかし、中長期的には、農業用水路を生かした小水力発電は、自然の分散性に即した分散型の発電方式であり、だからこそ自然への負荷も少ない。エネルギーの地産地消が実現して、送電のための設備投資も自然破壊も少ない。

 この小水力発電では、農村や地方の中小都市程度の電力需要しかまかなえないが、本来、それを超えた大都市そのものが、自然の分散性に反した生き方なのである。とすれば、その大都市に合わせて巨大ダムを造るよりも、長期的には都市への人口集中を緩和して、人口分散を図る方が、自然に適合した生き方となる。

 小水力発電は農村に自立的なエネルギーを与え、かつ、収入をもたらすことで、都市から農村への人口分散を助けることになる。小水力発電の持つ循環性、多様性、分散性こそ、日本列島の自然に適合した「和の国」らしいエネルギーと言えよう。
(文責 伊勢雅臣)