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思想の強い人は事実を曲げる

武田邦彦さんがラジオで言ってたんですが、こういう人多いですね。

自分は間違ってない、そう思い込んでいる人ほど盲目で傲慢で怠慢だなと。

意見を通す為なら多少の事は誤魔化したり、触れなかったりする。


同じく武田邦彦さんが例え話に出したのが、子供を躾ける為に「お化けが出るよ」という子供騙しもその一つになると。

うーん。確かに明らかにウソではあるけど。。

躾の為ならウソをついてもいいのか、となるとNGだが、親が怒るより効き目があるならいいかな。

結局「子供騙し」ですからね。
騙した方が悪いはずなのに、騙された方が悪くなるという魔法のような矛盾。

このくらいなら可愛い話で済みますが、そうじゃない事は沢山あるような気がします。

同じ経典なのに解釈が違うから宗教が違うとかね。

詳しく知らないからこそ素朴な疑問が多い。

豚肉を禁止している砂漠地帯の宗教がある。
何故豚はダメなのか、それは神の言葉として経典に書いてあるから。

それだけで禁止にする理由になるらしいです。


そういうのめちゃくちゃ引っかかるんです、俺。

おばけなんて本当にいるの?
と気づき始めた子供と同じです。

本当はオバケなんていなくて僕を怖がらせたいだけなんでしょ?

本当は豚は穀物を餌とするから砂漠での飼育に適してなく、牛や羊の餌は草で、さらに反芻動物だから少ないエサでも栄養を多く摂取出来るから飼育に向いてるからじゃない?


こういう事は他人の事ほど言いやすいです。

でも自分に対して出来るかどうか、これが難しい。


自分の思想の為に間違いや恥を隠すのか

もしくは間違いを認め、恥を晒す事で理想の自分に近づくのか。

思想か理想的信念か、みたいな難しい話になって来るんですけど。


今日ここまで書いたのには訳があります。

俺は今から一つの間違いを認める。
恥を晒そう。

「ブログの末尾に"かしこ"付けてますけど、あれって女性が使う言葉ですよね?」

と指摘ありました。


俺全然知らずに使ってた。


恥ずかしい。。。
めちゃくちゃ気に入ってた。

かしこ って畏みますを柔らかくして良い表現だと、それだけを思って使ってた。

よくよく調べてみると平安時代へ遡る。

漢字メインの手紙を書いていた男性は末尾に「恐惶謹言」と使い、ひらがなを使い手紙を書いた女性は「かしこ」を使っていた。

俺、末尾にそんなカタイもん付ける文章書けねぇ。。

かと言って、知ってしまったら今更付けるわけにもいかない。

ならばこっそり記事を編集してしまおうか。。

しかし「世界を俺は知らない」が俺のnoteのテーマ。

俺が世界を知ろうとし、アウトプットして得た情報だから恥じても損はしてないのだ。


こっそり記事を編集し、かしこを消す事もできる。

事実を曲げちゃう?

いやいや、世界を知らないって言ってるのに知らなかった事を消すのは矛盾している!

奇しくも俺の名前は誠。

「誠」は「言」を「成す」と書く。
発言したことを成す、嘘偽りのないことを意味する。

間違いやウソを信じていた事を認め、世界を知りたい。

今日はこういう言い訳のブログでした。


2021.8.29 日曜

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