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音楽制作業 OFFICE HIGUCHI 10周年までの道のり#33 〜こんなに近くにあるのに全然知らなかった・・・クリエイティブディレクションとの出会い〜

お世話になっております。代表の樋口太陽です。

2019年のある日、四ツ谷のオフィスに出社した僕は、郵送で届いたひとつのダイレクトメールを手にしました。その中に、クリエイティブディレクション講座という文字が。退社したジェット宮田宛で届いたものです。きっとどこかのパーティーなどで、講座の関係者にお会いしたのでしょう。

普段ならば郵送物にゆっくり目を通すようなことはあまりないですが、その時だけは、やけに目にとまりました。

クリエイティブディレクションが何かを超ざっくりと言うと、課題の解決のためにどんなものをつくるべきなのかを考え、示し、最終アウトプットまで管理することです。その役割を担う人物をクリエイティブディレクター(CD)と呼びます。ここを詳しく掘ると人によって様々な定義があるかと思いますが、あえて当時の自分の立場からの、狭い目線でいうと・・・「エリートが集まる広告代理店の中でも、さらなるめっちゃえらい雲の上の人」です。

講師の方は、古川裕也さんという方。九州新幹線の開通ムービーや、ポカリスエットのCMなど、自分の知るたくさんのお仕事を手がけられている方でした。古川さんは、雲の上の存在であるクリエイティブディレクターの中でも、さらなる雲の雲の上。日本の広告界のレジェンドの方です。古川さんが公式で出しているプロフィールから引用させていただきますと・・・

クリエイター・オブ・ザ・イヤー、カンヌライオンズ40回、D&AD、OneShow、アドフェスト・グランプリ、広告電通賞(テレビ、ベストキャンペーン賞)、ACCグランプリ、ギャラクシー賞グランプリ、メディア芸術祭など内外の広告賞を400以上受賞。2020年D&AD President's Awardをアジア人で初めて受賞。2013年カンヌライオンズチタニウム・アンド・インテグレーテッド部門、2005年2014年フィルム部門、クリオ審査委員長、ACC審査委員長など、国内外の審査員多数。D&AD President Lectureなど、国内外の講演多数。日本人で初めてD&ADアドヴァイザリー・ボードに就任。主な仕事に、九州新幹線全線開業「祝!九州」。ポカリスエット「ガチダンス」シリーズ。「Neo合唱」。「でも君が見えた」。GINZASIX・ローンチキャンペーン。森ビルブランド・ムービー「Designing the Future」。リクルート「すべての人生がすばらしい」。グリコ「Smile!Glico」キャンペーン。民放連「人類はオリンピックを発明した」KIRINサッカー日本代表応援キャンペーン「香川真司・応援する者」。宝島社「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「嘘つきは、戦争の始まり。」「最後は勝つ。上がダメでも市民で勝つ。」「君たちは腹が立たないのか。」「暴力は、失敗する。」Asics「ぜんぶ、カラダなんだ」。日本経済新聞社「NIKKEI UNSTEREOTYPE ACTION」Sayonara国立イベントなど。著書に『すべての仕事はクリエイティブディレクションである』。

まさに住む世界が違います。しかも、講座の対象者として書かれていたのは

広告会社、制作会社、Web制作会社、SP会社、PR会社や企業の宣伝部・マーケティング部門・広報部・経営企画部などでコミュニケーションの力で課題解決を求められる方

とあります。僕はこれにひとつもあてはまりません。しかし・・・


うん、これに行こう。


直感でそう決め、すぐ申し込みをしました。ちなみに、自分のような音楽をつくる立場でこういったものに参加する例は、自分の知る限りは聞いたことがありません。ふつう、音楽をつくる立場の人間は、広告案件に関わっていたとしてもクリエイティブディレクションについて知る必要は、ないのです。

なぜか。

改めまして、広告音楽をつくるに至る商流を説明いたします。広告制作の過程で音楽をつくる事というのは、商流でいうとかなり下の方の出来事。広告制作が進む上で、いざ必要になった音楽というパーツを形にする仕事です。

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他国ではまた違ったりしますが、日本では通常、このような流れをとります。上の図だと、主にクライアントと広告代理店とのコミュニケーションのところで関係する部分なので、見ての通り、音楽チームはそこからはるか遠いところにあります。

あえてこの言葉を使いますが、音楽制作者は広告制作において「下請けの下請けの下請けの下請けのパーツ制作者」のような立場です。だから、音楽制作者たちは、自分たちの領域から遠いクリエイティブディレクションの事を詳しく知らなくても問題ない。広告全体の設計図を知らずとも、映像監督が求める音楽のイメージを形にすればよい。制作が進む上で、たくさんいる関係者の誰かからNGが出たら、おさまりがつくまで修正対応するしかない。商流の下の方ということで、広告制作の中で扱いがよくなくても仕方ない。これが僕がたまたま生きることになった、この業界の常識でした。

ここで、自分の中で疑問が湧き上がりました。本来、音楽というものは人間の文化のメインストリームであるはずです。

ピアノの習い事、合唱コンクール、「わたしの将来の夢は歌手です」、バンド活動、「わたしの趣味は音楽を聴くことです」、ロックフェス、DJ、カラオケ、紅白歌合戦・・・

どれもニッチなものではありません。メインストリームであることに異論がある人はあまりいないでしょう。しかし、広告の現場になると、とたんに音楽はあまり深く考えられることのない、下流の存在になります(メジャーなアーティストを絡めた広告企画は除きます)。

音楽制作者が冷遇されていると感じるようなことも多く経験しました。ここには書けないですが、今でも決して許す事のできない事件が、いくつもあります。それらを繰り返す中で、自分の中でひとつ浮かんだ仮説がありました。

ひょっとしておれたちは、学(ガク)がないから、バカにされるのではないか?

何かの議論があった時、音楽制作者なりの視点から産まれる感情をぶつけるだけでは説得力がありません。いままで自分が見えていなかった、最初の源流の部分はいったいどうなっているのか?それを知らなければ、俯瞰的に物事が見れず、一方的な話しかできないのではないか・・・それを考えはじめた時期でした。自分の仕事の実体験だけで学んでいくには限界があります。

だから、今こそもっと広告について学びたい、と思いました。決して自分自身がクリエイティブディレクターという肩書きを名乗ることを目指したわけではありません。音楽が必要とされる前の段階である、広告企画の「その起こり」を知ることにより、はじめて同じ土俵で戦えるのではないか、そう思いました。

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初回の講座の日。会場は20〜30人ぐらい。場違いな立場の人間として参加している事を自覚しているから、当然緊張します。

講座が始まりました。クリエイティブディレクションという、ふつうに生活をしていると触れることのない概念の説明に始まり、古川さんが手がけた名作CMや、海外の名作CMを見ながら、ひとつひとつ丁寧に解説していただきます。

あまりにも、おもしろすぎました。

周りには誰も知り合いのいない中、血沸き肉踊るほどに興奮し、ほんの数分間で心をえぐる名作CMと、その設計の鮮やかさに夢中になりました。広告クリエイティブは、こんなに面白くて、素晴らしい世界だったのか・・・。こんなに近くにあったのに、全然知らなかった・・・。

ちなみに、僕はこの時すでに大きなクライアントの広告の仕事にも何度も関わったことがありました。なのに、広告クリエイティブの本当の魅力や威力については、まったく理解していなかったのです。

特に九州新幹線のCMは、2011年の震災の時期、中野のアパートで不安ながらにこれを見て、涙がこぼれ勇気づけられた思い出があります。時が経った今、この講座で冷静に見ても、同じ感動があります。めちゃくちゃよいものであれば、時を経ても、どんな状況でも心を動かすものだと知りました。それが純粋な芸術ではない、広告という目的に基づいたものであっても。

クリエイティブによって人の心を動かすと、どのようなよいことがあるのか。社会的によい事を企業が行うと、どのようなよいことがあるのか。視座を上げるとは、どういうことか。熱く語ってしまいそうなトピックスを、古川さんはひとつひとつ丁寧に冷静に話します。今まで自分が特別よいと感じていたCMは、こういったところから産まれていたのか・・・。

目はギンギン。脳はフル回転。それは、小学校から大学まで、だらだら、いやいや勉強してきた僕が、いままで一度も感じたことのない「学びへの渇き」でした。最初は業界でバカにされないために受講することを決めたようなものでしたが、その邪な思いが吹き飛ぶほど、広告クリエイティブの世界に魅了されていきました。

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2019年の夏。会社の方では、またもや変化が起きました。新井さんが退職することになりました。

これからの事を色々と話す上で、独立したい、という希望をいただきました。もともと才能のあった彼女が実戦の経験を積んだ働きは絶好調で、よい結果が出ていただけに残念な事でしたが、その想いがあるのであれば、引き止めることはできません。

彼女のつくった曲で特に好きなものを並べてみます。

これもいいですね。

彼女とは、メロディーをキャッチボールしつつ、共作曲も数多くしました。この曲も、今聴いてもすごく好きな曲です。

新井さんは現在、zukioという名前で、フリーランスの音楽作家として活動しております。ご縁のある方は、どうぞよろしくお願いいたします。


オフィス樋口メンバーは、この三人になりました。

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す、少な・・・!

全員集合した時に、ちょっと笑えるぐらいの少なさでした。まさか会社のメンバーがこの三人だけになってしまうとは・・・少し前までは想像もつかない結果になってしまいました。

寂しくなってしまいましたが、クリエイティブディレクションの講座に通うのは続きました。講座では、課題が出題されます。お題に対して、どういうものをつくればよいのかを考える。今まで一度もやったことがないことですが、自分の頭で方向性を絞り込み、クリエイティブディレクションの資料を作ります。

これが・・・本当に難しいのです。

今まで、音楽制作者として具体的なアウトプットを産み出すことには慣れてきましたが、無限の選択肢の中から、目指すのはこっちの方向だと示す、クリエイティブディレクションというものは、全く異質の難しさのものでした。

自分なりに作った資料を持ってプレゼンし、古川さんに、この点はよい、この点はまぁまぁ、この点は違う、など、丁寧にコメントをいただきます。
全然思うようにできないなりに、一回ずつ、反省点を噛み締めます。自分の発表の後にコメントをいただいたり、人の発表を見て、そのコメントを聞いたり、何度も繰り返し体感していくと、備わってくる感覚があります。

これを見て、古川さんなら何て言うかな?

という感覚です。

#2で、音楽制作を学び始めた時、兄や池田さんから音楽制作における基準値をインストールされたことを思い出します。

それが今は、音楽制作でなく、クリエイティブディレクションという領域での基準値として、自分の中に少しずつインストールされてきました。音楽をつくるためだけに田舎から上京した過去からすると、思ってもいないことです。

しかし、ひとつ決定的に悲しい事があります。僕は実際の仕事の中で、クライアントと向き合ってクリエイティブディレクションの領域を任される立場にはありません。何か身近で、実験的にやってみる機会がないかなと思いました。ある日の講座の終わり、おそれおおくも、古川さんに変な質問をします。

「古川さんは、企業相手でなく、家族や社内メンバーなどの身近な人に、クリエイティブディレクションを行ったりするんですか?」

「あまりそういうことはしないですが、ぜひ身近な人にやってみたらどうですか?」


とコメントをいただきました。

そうときたらやるしかない。身近な標的は会社のメンバーである、ぶちです。とりあえず彼に練習台になってもらうことにしました。

つづく

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