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どうせ余らせるのなら、信頼の余剰をつくりたい。

今日はどっぷりと寝た。

7時ごろに起きようと思ったのだけど、でも、お布団の気持ちよさを意識的に感じた方が、幸福度が高そうだ。それを味わいきって起きたら、10時前までお布団にゴロゴロすることになった。

人はいつまでも寝続けることってできるんだろうか?どんな時に起きようと思うんだろうか?

現実世界と夢の世界

寝ていた方が幸せなら寝るを選択する、起きてる方が幸せなら起きるを選択する、と仮定する。

寝ているときには、特に何も得ることはない。使うのは時間だけだ。でも、夢を見る人にとっては何かイマジネーションを得られる時間になっているかもしれない。

一方の起きている時というのはたくさんの変数に囲まれている。大好きなご飯を食べられる幸せもあれば、上司からの厳しい一言に凹むこともある。

自分のだらしなさに情けなくもなるし、身の回りの人への感謝が込み上げる充実感もあるかもしれない。

でも、トータルして起きている時間の方が幸せを感じられるのなら、人はだいたい目を覚ましたくなるのではなかろうか。

それでも寝続けるというなら、贅沢極まりない。

もったいないは贅沢の入り口

そう、たくさん寝るということは、もったいない時間の使い方をしているということに他ならない。

そして、このもったいないこそが贅沢の入り口なのだ。そして、もったいないことをしているというとき、人は余剰をつくりだしているといえる。

必要以上な睡眠は時間の余剰を満喫することだし、ケーキを食べるのも栄養素の余剰を摂取することであるし、ブランド品を買い漁るのも金銭の余剰を堪能することだ。

かつて、余剰があることは権力の象徴とされていた。

たくさんの領土を持つ人が偉かったのだし、米をたくさん年貢として納められる場所がすごかったし、もっと昔に遡るとよくわからない形の造形物(土偶)がたくさんあるほど権力があるとされていた。

今だってその構図は変わらない。

人間関係の余剰がフォロワー数となり、それが権力に一部繋がっている。インフルエンサーも余剰が産んだ、影響力の見える化だ。

何を余らせていたいか

付き合いきれない数の人たちと繋がっているのがSNSによってもたらされた新しい人間関係の形だ。

だから先にもあげた人間関係の余剰が生まれてくる。

今の時代、どんなものを余らせたいだろうか。昔に比べて生きるために必要な時間は少なくなった。農業にかける時間は多くの人は持っていない。代わりに労働を提供してお金を得ている。

あらゆるものへの交換を考えると、金の余剰は確かに良いのかも。でも、お金はどこかで信頼のやりとりって言ってたような。

そう考えると、信頼の余剰なんていうものはどうだろう。

すごく難しいかもしれないけれど、どうせ余らせるのなら信頼が良い。約束を守ること、丁寧に接すること、リスペクトを忘れないこと。

信頼を積み上げるためには長い時間が必要だ。だから、大変なことも多いけれど、コツコツ積み上げ続けていきたいな。


たくさん寝たことによって得た気づき。それでは、明日も続きます。

お読み頂きありがとうございます!まだまだ伸び代なので、ぜひフィードバックなども嬉しいです!