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石田三成の補給の思考

 司馬遼󠄁太郎さんによると日本人は、
補給の思想が、乏しいらしい。 
 
 戦国時代でも、比較的、近いところで
 戦をするので、兵站、その当時は、小荷駄というが、それをあんまり、考えなくても、できたらしい。
 その小荷駄をやっていたのは、徳川家康の部下では、家康の懐刀といわれた、本多正信もやっていたこともあるそうだ。
 豊臣秀吉の部下では、石田三成が
白眉であろう。秀吉の小田原攻め、
悪名高い、2回あった、朝鮮攻め。

 朝鮮攻め などは、三成がいなくては、食糧、武器の準備、輸送などを
円滑に出来なかっただろう。

 第二次世界大戦などの、日本軍の補給の乏しさは、その死者の数が表している。日本人の悪いところは、精神力でなんとかなるという思考法だ。
 明治時代の軍人は、もっと合理的だった。つねに、どこにどれくらい弾薬を集めればとか、どれくらいまでは、戦争を有利に進められる。ここまで、来たら
外交で決着をつけてくれなど、注文するほど、柔軟な思考法だった。

 石田三成は、悪者にされがちだが、
全国各地の検地をおこなったり、
事務処理、兵站などの思考は、
どの人よりも優れていた。

 そういう、人があまりやらない地味な
仕事を円滑にできる人間になりたいと思っている。

 人には色々な能力があるものだ。


 

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