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「創作」ってなんだ?

昨日から、ずーっと考えている。

考え始めたきっかけは、昨日、noteに書いたけど、「ワニくん」のきくちさんと、いきものがかりの水野さんの対談を見たことだ。

あれから、胸のなかで「創作ってなんだ?」という言葉がずっと「ワーン」という音をたてて残響している。

noteに投稿された方の記事で、比較的多く
・noteのつづけかた
・noteを続けるコツ
という記事をお見かけする。
わたしは昨日、いったい何日ぶりだ?というくらい、久しぶりに書いたので、毎日続けている方には本当に頭が下がります。

話が飛んでしまったけれど、「noteを続けること」とは意味の違う、「創作すること」の、今まで感じていなかった考えていなかった側面を、おふたりの対談で垣間見た気がしている。
それが何なのか、うまく言語化したいとずっと考えているのだが、的確に言葉にできないのがもどかしい。語彙力のなさ表現力のなさがもどかしい。

日頃Twitterの誰かのコメントを全然読まない自分がたまたま読んだ限りの感想になるが、ワニくんの100日目が発表されたあとの感動や賞賛から、あっという間に、かなり辛辣な投稿が山のように押し寄せた。

この逆転はなに?反転はなに?一体なに?しかもどれだけの数?

砂漠の一粒一粒の砂がそれぞれ意思を持って、特定の対象に360度全方位から一斉に襲いかかり、生き埋めにしようとしている映像が頭に浮かんだ。

誰を?何を?なぜ?反転前のあたたかな心はどこにいったの?

それだけ影響力がある作品だったという証拠にもなり得るのだが、言いたいのはそこではなく、つまり、津波のような、砂嵐のような、ブラックホールのような、無数の強力な言葉の圧力にも耐えようとする心。逃げ出さない心。それでも前に進もうとする心。
創作とは、その心を持ち続けることを決めた「勇気」に与えられた力なのかもしれない。

ずいぶん観念的なことを考えてしまったので、何を書いているのか、自分でもわからないのだが、つまり、私も「創作がしたい」と思ったのだ。
「noteを続けたい」というより、正確には「創作がしたい」と。

わたしにとって、創作とはなに?

誰かの何かになりたい。
ふっと笑ってくれたり、ちょっとだけ気を抜いてくれたり、ほっとしてくれたり。(全部ニュアンスが同じだった・・・)
暇つぶしでも全然かまわない。励ましになったりしたら本望だ。

この文章は自分のために書いていないわけではないけれど、画面の向こうにいるかもしれない誰かのために書いている。

創作するというのは、なにも文章や音楽や絵や、そういったものを作り出すだけではないのだろう。
生きていること、ちゃんと生きていることだって、広義でいえば、創作なんだろう。

眠る前、ベッドのなかで手帳をひろげる。
今日、何したっけ?何書こう?困ったな。
いつも私は、書くことを思いつけないか、最初からあきらめているか、その日の仕事で疲れてしまって、すぐにライトを消してしまうか。

たとえ、「その誰か」が自分だけでもいいのかもしれない。
ひっそりと、でもいいのかもしれない。

何かを残していきたいと思うんだ。
自分や、誰かのために、手の平に乗るような、あたたかい何かを残せたら。

それがわたしにとっての「創作」なんだと思った。
これだけ書いて、やっぱりまとまらなかったけど、この気持ち自体が「創作」の正体なのかもしれない。

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