見出し画像

【書評】車輪の下

ヘルマン・ヘッセの代表作『車輪の下』を読みました。
「えっ? 上巻から先に読みなよ」とかいうギャグは置いておこう。
『車輪(上)』『車輪(下)』の上下巻ではないです。


ざっとあらすじ

1章
主人公は村いちばんの賢い少年ハンス・ギーベンラート。
頭痛持ちだが優秀で、神学校への入学試験を2位の成績で通過。

2章
神学校への入学までのつかの間の休み。本当は釣りを愛する自然児だという描写がなされる。

3章
神学校に入学、学生寮のルームメイトたちは変わり者も。その中の一人、詩を好む自由人ヘルマン・ハイルナーと友情を築くが、ふとしたすれ違いでその友情にひびが入る。

4章
ルームメイトのヒンディンガーの事故死。それをきっかけにしてハイルナーとの友情は再び取り戻される。奔放なハイルナーとの交友は優等生だったハンスの世界を広げるが学校の成績はみるみる落ちていく。
ハンスがハイルナーとの付き合いをやめるよう言われるその折、ハイルナーが神学校を脱走し退学となる。

5章
ハンスの調子は悪化していく。授業中に先生に立つように言われても立てなかったり、黒板の前に出て証明問題を解くよう言われてもチョークを落とし立ち上がれなくなる。
故郷へ帰り休暇を取るように言われるが、もはや神学校の授業について行くことができないハンスは戻ってこられるとは思わなかった。
故郷では幼年時代を懐かしみつつ自殺のことを考えるようになる。

6章
季節は秋、果実の収穫のころ。
静養中のハンスは見習い工になるか書記になるか身の振り方を迫られていた。
リンゴの絞り場で靴やのフライクのめいであるエンマという少女と出会う。
ハイルブロンからきた彼女は身軽で快活。ハンスは見る見るうちに恋に落ちる。夜中にこっそりと秘密の逢瀬をする。

7章
エンマは何も言わずに故郷に帰る。自分との関係がただの遊びだったということに気付いたハンスは傷つきながらも、機械の見習い工として働くことを決める。
かつての友人アウグストと同じ職場で厳しいながらもある種の充実感も感じ始める。
ある日の休日、職人たちとともに酒場に繰り出すこととなったハンスはしこたまビールを飲み気持ちよくなるが、しばらくたつと酔いがさめ絶望的な気持ちを抱えながら一人で家路へと帰るが……

詰め込み教育の犠牲者?

一応塾講師として教育の末端に携わるものなのでこのテーマに触れなくてはいけないと思いました。
ハンス少年はとても早熟で優秀だが、本質は自然児でありそれゆえに繊細で傷つきやすさを持っていた。
神学校でノイローゼになってしまった理由を一言で表すことは難しい。
もちろん一つは親友ハイルナーとの別れだろうが、神学校の厳しい規則と授業もその理由の一つではあるだろう。
ハンスは作者自身の投影だろうが、ヘッセ自身も神学校での生活にノイローゼとなり脱走事件を起こして退学となっている。

神学校のシステムがどのようなものだったのかは小説中ではあまりわからない。教師たちの厳しさは繰り返し強調され、落伍者としてみなされたハンスを気遣うのは若い助教師ただ一人だったという描写から、ついてこられないものは容赦なく振り落としていくような性質が見て取れる。
息抜きや娯楽などの時間が持てたかはあまりわからないが、学校の周りは自然が豊かであったように思える。

学ぶことは大事だがそればかりになってしまうと心はつぶされる。
特に思春期の頃は勉強よりも差し置いて感動や好奇心を育まなくてはならない。
ハンスはその点において不十分であり、詰め込み学習の犠牲者であったように思える。
ただ、この物語の主題はそこではないように思えるんだよなー。

自伝的小説

この物語はヘッセの自伝的小説であり、ハンスやハイルナーは作者の思考や行動、体験が大きく投影された人物だ。
特に自らの名と同じ名を冠されたヘルマン・ハイルナーは詩人・作家としての彼が色濃く投影されている。

自伝的小説は何のために書かれるか。
日本の小説家・北村薫は「小説が読まれ、書かれるのは人生が一度きりであることへの抗議からだと思います」と語っている。

ヘッセのこの物語は彼の人生のありえた未来への期待や、鬱屈していたころの記憶を浄化するために書かれたのかもしれないと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?