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地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅#1 中国山地から出雲へ①

コロナ禍によって海外渡航が制限された3年間は、旅好きの皆さんにとっては、日本の良さを再発見できた3年間でもあったのではないでしょうか。

◆ ブロンプトンとの10年

2020年。私は前職を早期退職して転職し、コロナ禍の京都で働き始めました。
また、人流の減少に伴うJR各社の経営悪化がマスコミを賑わせ始め、その象徴的な事例として中国山地を走る木次線がクローズアップされるようになったのも、ちょうどその頃でした。
元乗り鉄の私ですが、木次線には40年前に一度乗ったきり。その代名詞とも言える三段式スイッチバックを含め、何も記憶に残っていません。
もう一度行ってみたい、という気持ちが頭をもたげてきました。

その旅にブロンプトンを連れて行って、松江の城下や宍道湖畔を走ろう、と思ったのは、何故だかよく覚えていません。

旅先で気軽に乗れる折り畳み自転車が欲しいと、ブロンプトンを購入したのは2014年。バンコクに駐在していた時のことでした。

▲ 2014年11月、まだピカピカのブロンプトンとスコータイにて

タイではスコータイやチェンライ、またネパール遠征にも連れて行き、その後、札幌〜川越〜京都と、もう10年の付き合いです。
札幌ではスーパーやホームセンターへ買い出しに行く際のママチャリ代わり。
川越では、休日出勤の時などに輪行して行って、終業後に夜の都内のポタリングを楽しんだりしていました。
ただ、京都へ越して来てからは、出番が少々限られていました。

◆ コロナ禍の旅立ち

京都へ来て一年が経過した2021年9月。
緊急事態宣言と蔓延防止の一年は、人混みを気にせず京都を観光するには良い一年だったが、そろそろ飽き、片雲の風に誘われて、どこかへ行きたくなりました。

9月10日、午後半休を取って、プロンプトンに乗って職場を出発。蒼空に積雲が浮かぶ初秋らしい爽やかな昼下がりでした。
7月、8月と休日出勤が続き、振替休日が溜まっていました。それにこの夏休みは、非常事態宣言と大雨に祟られて、遠出も叶いませんでした。
そこで、色々なことが一段落したこのタイミングで、三連休をとり、プロンプトンを連れてどこかへ行こうと思ったのです。結局は仕事が入り、午前中は働いてからの出発になってしまったのですが。

爽やかな秋晴れの京都市内を、フレンチバルブのチューブに交換したプロンプトンで走ります。こりゃ、遠出など考えず、京都で週末を過ごしてもよかったか、と思われるようなからりとした良い天気。
京都駅に着いて、みどりの窓口へ。コロナ禍の京都駅はがらんとして、みどりの窓口には客は誰もいませんでした。
新幹線、芸備線、木次線、山陰本線、伯備線を経由して岡山までの乗車券と、広島までの特急券を購入。こんな複雑な片道切符が瞬時に発券できるとは、かつて駅員が時刻表と首っ引きで電卓を叩いていた時代とは隔世の感があります。
14時9分発の新幹線に乗り、早速駅弁とビールを広げました。車内はガラガラ。
新大阪に着く前に西京焼き弁当を平らげて、爆睡。気がつけば既に岡山を過ぎていました。

◆ 芸備線の旅(広島〜三次)

広島市にはこれまで不思議とご縁がなく、山陰への出張帰りに数時間立ち寄って、原爆ドームなどを見学したことがある程度。その時は車で動いていたので、広島駅に来るのは初めて。駅のホームに滑り込む前に、左の車窓にマツダスタジアムがあり、カープの選手が練習する姿が見えました。今日は中日三連戦の最終日。
新幹線改札を出る前に、三次までの車内で何かつまもうと、キオスクでもみじ饅頭やら干し牡蠣やらを色々と買い込みました。

そして九番ホームに降りると、発車10分前というのに、三次行き快速はなんと満席。
通路にも高校生が溢れています。
広島県は緊急事態宣言継続が決まったはずですが、この車内には、密を避けましょう、という気配が全然なし。

それはそうと、車内の高校生たち、30年前に連れて行っても、多分全然違和感がないだろう。
私の前に立っているのは、安っぽいペラペラな生地のセーラー服に白いスニーカー、黒髪の女子高生。
もっとも、みんな目を落としているのは詩集でもコミックでもなくスマホであり、ロングシートの隅で居眠りしている女の子はスタバのカップを危なっかしく握っています。
セーラー服の女の子は、安芸矢口で私に一礼して下車していきました。いい子だな。
玖村で相当数の高校生が降りて、ようやく車内が見渡せるようになりました。しかし、座席はまだ高齢者で埋まっています。

発車から30分足らずで、大田川と三篠川の合流地点である下深川に到着。その先、二両編成のディーゼルは、徐々に山峡に入っていきます。
立っているのも、私と、紺のハイソックスを履いた女子高生一人だけになりました。
並行する三篠川の河岸には柱状節理の岩肌が見えています。
下深川から志和口まで、20分くらいノンストップでした。

昏れなずむ山峡を走り続け、17時過ぎに甲立着。かつては甲田町、その後町村合併があり、現在は安芸高田市の中心部らしい。昔はそれなりに賑やかだったのかな、という駅前通りがある山中の町で、駅の造作も立派。跨線橋を渡って人々が家路を急いでいきます。
やがて、中層のビルが幾つか見え始め、三次に着きました。

◆ 三次の一夜

ホテルにチェックインする前に、ブロンプトンを組み立てて、夕暮れの町を一走りしました。三次は江川の支流が合流する交通の要衝で、鵜飼などで知られますが、高速道路網が発達した今日では単なる通過点になってしまったのか、通りに人影はあまりありません。その上、緊急事態宣言の下故、飲食店は見慣れたチェーン店を除いて、殆どが暖簾を下ろしています。

こりゃ、今宵の酒場放浪記は無理だな。

予約したホテルは、工事などでの長期出張と思しき人たちで、意外なほど混雑していました。通りを挟んで向かいにあるショッピングモールを覗いてみましたが、ここも飲食店は明かりを消しています。
仕方なくホテルへ戻って、一階の居酒屋風の店で生姜焼き定食を食べました。ただ、アルコール類の提供はなし。
このまま狭い部屋でゴロゴロしているのも芸がないので、馬流川を渡る巴橋のあたりまで、夜の街を散策しました。この辺りが鵜飼の会場になるようですが、人影はなく、煌びやかな提灯が場違いに感じられました。

▲ ライトアップされた巴橋

人気のない夜の町は、鈴虫の鳴き声に包まれていました。

▲ 市街地には、古い商家も残されていました

翌朝。明け方に雨が降ったらしく、ホテルの窓から見下ろす芸備線の線路は濡れていました。山の稜線から上空へ靄が上がっていきます。
犬の散歩をしている初老の男性は傘を畳み、柴犬がじゃれつくように跳ねています。

タバコ臭い狭い部屋にこれ以上いても気が滅入ります。早々に旅装を整え、6時15分にはチェックアウト。山上の盆地なので、半袖にクロップトパンツでは少し肌寒い。
駅までの数百メートルの道をブロンプトンで走っていくと、急に大粒の雨が落ちてきました。慌ててペダルを踏み込み、駅の軒下に駆け込みます。
三次駅は、芸備線、福塩線、さらにかつては三江線の発着点でもあった鉄道の要衝。構内は広く、引き込み線がいくつもあります。
駅に人影は少ないが、一番線に、広島へ向かう長大な五両編成が停まっています。しかし客は一両に一人くらいしか乗っていません。広島着は9時少し前と思われるので、下深川あたりからの通勤通学列車として需要が大きいのでしょうか。
その向こうに、備後落合行きのワンマンカーが停車しており、30代と見られる運転士が一人、始業点検をしていました。
しばし待って乗り込みます。やがて、鉄分の濃そうな男子が二人、一眼レフを携えて跨線橋を渡ってきました。
備後落合行きのディーゼル車は、定刻6時50分に発車。乗客は3人。全員乗り鉄、または元乗り鉄。

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ここまでお読み頂き、ありがとうございました。次回は、芸備線〜木次線の旅について綴りたいと思います。宜しければ続きもお読み頂ければ嬉しいです。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。




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