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#30 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/氷雨のち花開く 早春の武蔵野②

「#旅のフォトアルバム 記事まとめ」と「お出かけ 記事まとめ」に、この記事を取り上げて頂きました。ありがとうございます!


ローカル線の旅、と呼ぶには無理矢理感がありますが、東武東上線での輪行を併用して、川越を起点に都幾川〜槻川の流域を、小川町へと走っています。前日から昼にかけての氷雨が止み、上空には青空が広がりました。

▼ ここまでの記録は、こちらの記事にまとめております。

◆ 遠山から旧下里分校へ

武蔵嵐山の名は、昭和の初め、日本の公園の父と言われる林学者・本多静六が、京都の嵐山に似た風景であると評したことが由来となっています。現在、その本家の嵐山近くに住む者として、数年ぶりに槻川のほとりに立つと、ここは本家よりも伸びやかで、あちこち忙しなくみて回るより、河原でバーベキューしたり、野山を散策したりして、一日をのんびりと過ごすのにふさわしい場所。

槻川橋のたもとから大平山の山麓を越え、槻川沿いの隠れ里のような遠山へむかいます。わたしが20年以上も前に入手したサイクリングコースガイドに紹介されていた道で、その懐かしく長閑な風景は当時からあまり変わりません。
遠山へむかうためには、まず、低いながらもひと尾根越えなければなりません。上りは小径車の泣きどころですが、昨晩寝不足の割に体調は良く、ぐいぐい踏んで上ります。

▲ 尾根上から遠山を見渡す

早春の遠山は、ホトケノザの花が野を薄紫に染めていました。数週間後には丘陵の若葉が萌え、山里は鳥の歌声に包みこまれることでしょう。

ところどころ足を止めて写真を撮りながら、その先にある「小川小学校 旧下里分校」を目指します。

ほぼ20年もの間、何度もこの道を走っていながら、この小さな学舎を知ったのは2020年の春、本当に偶然でした。その頃、わたしは右腕を骨折して自転車に乗れず、晴れた日には普段ロードバイクで駆け抜けている道を徒歩やジョギングで辿っていました。今日のルートを高坂からジョギングしてきたある日、いつも駆け抜ける道ではなく集落の中を抜けてみようと槻川沿いの小径を辿ってきて、このノスタルジア溢れる場所に出くわしたのです。ちょうどその3月に公開された、のん主演の映画「星屑の町」のロケにも使われたそうで、たしか渡り廊下のあたりだったか、ロケ風景の写真が飾られていたものです。

その年の夏、わたしは転職のため川越を離れたので、ここを訪れたのはほんの数回。いつか再び行きたいと思い続けていました。最近では「のんのんびより」というアニメの舞台にもなったそうで、ネットで検索すると聖地巡礼で訪れる人も増えているよう。それらしき2人組と、近くに住んでいるらしき母親と幼い兄弟が、小さな校庭で憩っていました。

▲ 建物内は立ち入り禁止なので外から撮影。磨き上げられた床が印象的。
▲ 校庭には今も遊具が残ります

やがて一眼レフを持った白髪の男性がやって来て、色々とお話ししました。
清潔な白シャツにブルージーンズが若々しい。わたしもこのように、生き生きと齢を重ねたいものだ。
小川町に住み、四季折々の風景や催事を撮影して歩いているそう。かつてのこの分校のことも伺いました。かつては校庭を取り巻く桜ももっと多く、春には人々がお花見に集まっていたそう。今でも春にはここで桜まつりが開かれ、今年は明日が開催日。少しだけど開花してくれそうで良かった、と日焼けした顔に笑みを浮かべておられました。
この分校は、平成22年に閉校。以後、NPOが中心になって保全に努めているそうで、16年を経ても荒れた様子はなく、地域の方々が集う場になっていました。
このような、多くの人の思い出が詰まった施設を後世に残すということは、維持管理費などの難しい課題もあることでしょうが、短期的な視点で判断してはならないことだな、と強く思います。その存在が、下里分校のようにいつの日か聖地として脚光を浴びることもあり、また人々の生活の歴史を大切に積み重ねてき地方都市が、ある日突然「今年訪問すべき世界の都市」にランクインしたり、地域の人たちが大切にしてきたものが、地域の資源として活かされやすい時代になってきたことを感じるのです。

今日は、東昌寺の枝垂れ桜がちょうど見頃でしたよ、と教えてもらい、Googleマップで場所を検索し、再び走り始めました。

◆ 東昌寺は花盛り

教えていただいた東昌寺は、和紙の里として知られる小川町の北西の山懐にありました。階段下の駐車場は満車です。

▲ 東昌寺

小ぢんまりした境内には十人ほどがカメラやスマホを構えていました。
山門の脇に枝垂れ桜が聳え、西に傾いた陽光が桜花の隙間からこぼれ落ちます。庫裏の前にはセラフィムが咲き乱れていました。

昨日からの仕事のストレスが、やっと消えていきました。

東武東上線の急行列車の終着駅であり、またJR八高線との接続駅である小川町は、人口約27千人。ここ30年で1万人ほども減少しています。川越あたりではマンションの建設ラッシュになっているのとは対照的です。
静かな駅前商店街を通って、駅へ向かいます。

追記: 後日(5月24日)、NHKで、小川町は首都圏で最も移住希望者の注目を集める町として紹介されていました。自然に恵まれ住居費も安く、それでいて東武東上線で池袋まで60分。平日は都内で働き、週末は小川町という二拠点生活を送る人も少なくないそう。
統計情報では、自然減が社会増を上回ってしまい、前記のような数字になるのでしょうが、現地のコミュニティは活性化しているようです。こういう情報を事前にインプットしてから行くべきだったか…

◆ 酒気帯び散歩 @川越

小川町を出た時は乗車率50%にも満たなかった池袋行き急行は、川越市に着く頃には多くの立ち客を乗せていました.
ホテルの大浴場で昨日来の汗を流し、本川越のワイン居酒屋でほろ酔い気分になって、朝に続きふたたび中院へ。ライトアップされた満開の枝垂れ桜が目当てです。

2軒目へ行く前に少し酔いを覚まそうと、そのまま、かつて暮らした街をしばし散歩。
大正浪漫通りには、恒例の鯉のぼりが、早くも夜空に舞っていました。

明日の午前中は、恒例の高麗郷へのポタリング。そのあと午後には都内へ移動し、新橋で友人と飲む約束があるので、今春の川越滞在はさほど長くありません。5月に東京出張の予定があるので、そこに時にまた足を運んで、1日を過ごそうかと思います。
涼やかな夜風を受けて、ぶらぶらと歩き続けました。またいつか、この街へ戻ってきて暮らす日もあるのかな、と思いながら。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次は、ゴールデンウィークの飯田線と伊那谷の旅など、徐々に綴っていきたいと思います。よろしければ、ご覧頂ければ幸いです。

これまでのローカル線とブロンプトンの旅、こちらへまとめております。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。

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