見出し画像

北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周【57】19日目 静内〜苫小牧② 2017年7月29日

真夏の日高を走る「週末北海道一周」19日目。朝から濃霧。
二十間道路から新冠のサラブレッド銀座を下り、海岸線へ戻って来ました。朝から30キロ少々走りましたが、直線距離にすると、5キロほどしか進んでいません…
今日は、まだまだ寄り道します!

◆ 世論調査の思い出

交通量の多い国道235号線に出て、起伏を越え、下り切ると海岸線に出ました。しかし、濃い霧で、海は全然見えません。国道をそれて、節婦の集落に入り込みました。 小さな漁港と水産加工場しかないようなところですが、学生時代に新聞社の世論調査のアルバイトで来て、ここで一泊したことがあります。

▲ 節婦駅 ※日高線の廃線に伴い、現在では廃止されています。

最近では、マスコミの世論調査は、コンピュータがランダム抽出して電話を掛けて来ますが、30年前の世論調査というと遥かにアナログで、役場に有権者名簿の閲覧に行き、そこから等間隔で有権者の住所氏名を手書きで書き写し、オフィスに戻ってからこれも手書きで対象者に依頼状を発送していました。調査本番は、アルバイトの学生達が、週末の2日間で集中的に対象者を訪問し、対面で調査するのでした。北海道にしては比較的日給が高く、しかも即日現金で貰えるので、そこそこ人気はあるアルバイトでした。
地方の世論調査は都市部と違って過剰に警戒されることも少なく、新聞社の名前を出せば、丁寧に応じて貰えることが多かったものです。しかし節婦では対象者が入院していたり漁に出ていたり、また閉鎖的な集落なのか聞き込みをしても居所を聞き出せなかったり、苦戦した記憶があります。

当然といえば当然ですが、当時を思い出させるものは何もなく、辛うじて今では廃校になった小学校を見つけ、傍の教員住宅を訪問したことが想起されました。若い女性教師が暮らしていて、圧倒的に自民党支持層の多い地区の中でただ一人異なる回答が返ってきたこと、また肩越しに見えた食卓にカップヌードルが乗っていたことが何故か記憶に残っています。 

◆ 列車の来ない線路に沿って

すっかり草むした線路を渡り、国道へ戻ります。
節婦の先、大狩部駅あたりから国道は登り坂。
この上り口辺りで日高本線の路盤がざっくり流された現場の一つを左手に見ることができます。

▲ 不通になってから2年半、草むした路盤
▲ 橋梁の向こう側の路盤が流出している

札幌に住んでいた2年前の夏、集中豪雨によって石北本線の路盤が流失し、遠軽からやむなくバスで帰ったことがありました。その時、遠軽駅に現場の写真が掲出されていましたが、それと同じような状況に見えます。その夏の石北線の被害は、素人目にはかなり深刻に見えたのだけど、その時はお盆の多客期直前ということも手伝ってか、2週間後には復旧しました。
日高本線の場合は、太平洋の荒波が押し寄せる海岸のため状況が異なり、恒久的な復旧のためには波をブロックするための沖合の土木工事などで高額の投資が必要になるそうです。昨日、代行バスで鵡川から走ってきた時も、大波が次々と路盤を飲み込まんとするが如く、防波堤を越えて襲いかかっている様が見えました。
ここはやはり専用の軌道を自前で保有しなければならない鉄道事業の難しさで、正直JR北海道が全てを自前で賄うことは、可能とも適切とも思われません。かといって、沿線自治体や道にしても、予算配分で優先順位上位には位置付けられず、八方塞がりの感が拭えません。
日高本線には多少なりとも思い出はあるし、元乗り鉄としては寂しい限りなのだけど。

※ 日高線は、残念ながら2021年4月に鵡川〜様似間が廃線となりました。

日高路の静内~鵡川間は、前回走った静内以南と違って、起伏が連続していました。細かいアップダウンが連続するのではなく、緩やかな長い上りと下りが交互に現れます。起伏の上には牧場があり、坂を下ると漁港と集落があります。

そんな集落の一つで、昨日、代行バスの車窓から「清畠」という小駅を見かけ、少々気にかかっていました。小さな待合室とホーム一面のみの無人駅。ホームの向こうは、すぐ海のよう。
こういう海辺にポツリと佇む小駅は絵になります。適切な場所に自転車を配置させて頂いたりすると、いわゆる「インスタ映え」する構図になるのです。仙台に赴任していた頃、よく走りに行った奥松島に、陸前大塚という何とも雰囲気の良い海辺の駅がありました。震災でどうなってしまったのか気になりつつ、再訪を果たせずにいるのだけど、ちょっとそれに近い雰囲気を感じました。

橋梁が流失して橋脚だけが濃霧の中に浮かび上がる様などを横目に、清畠駅に到着。駅前ロータリーの広さなどを見るに、かつてはそれなりに乗降客もある駅だったのではないか、と想像します。脇には町営住宅でしょうか、長屋があって、庭先には夏の花々が彩りを添えていました。
バスの車窓から見た時は、ホームの向こうはすぐに砂浜、くらいの感じに見えましたが、ホームに立って見ると、海岸までの間には荒地が広がり、その向こうは防波堤が眺望を遮っていました。しかも濃い霧に包まれているので、何とも寒々しい雰囲気。

しかし、ようやく上空に、僅かながら青空が覗き始めました。

▲ 清畠駅前の公営住宅
▲ 霧に包まれた海岸の駅

◆ アイヌ文化の聖地へ

清畠駅からもう一つ起伏を越えると、日高門別です。
ようやく、霧が晴れました。国道を外れて、門別の漁港と市街地への旧道を駆け下ります。踏切と低い家並みの向こうに、ようやく苫小牧へ続く海岸線の眺望が開けました。海からの強い風で白波が立ち、岸で激しく砕けています。

▲ 門別町内への旧道

人気のない静かな町内を一回りして、国道沿いのコンビニで水や携行食を調達し、駐車場に腰掛けてホテルで頂戴したおむすびを頬張りました。

さて、ここから再び、内陸へ寄り道し、アイヌ文化の中心地と言われるニ風谷を訪ねようと思います。
ニ風谷へは、もう少し先の富川から国道237号線で、沙流川に沿って遡るのがメインルートですが、このルートは道央と道南を結ぶ幹線道路。大型車の通行も多いと予測されます。
そこで、ここ門別から内陸へ分け入り、ツーリングマップに「義経峠」と記された鞍部を越えて沙流川の谷へ下るルートを選びました。峠といっても標高は131mばかり。源義経が、実は平泉から落ち延びて蝦夷地へ渡ったとする、いわゆる「義経北行伝説」の象徴的存在である義経神社が、この先の平取町にあります。

内陸への道は緩やかな上りですが、海からの風が背を押してくれ、勾配はほぼ感じません。上空も晴れ渡り、気持ちまで伸び伸びしてきました。
この辺りもやはり牧場が続きますが、二十間道路あたりのような大規模なものではなく、中小の牧場が連続する感じ。それ故にでしょうか、風景には牧歌的な優しさが加わって、とても穏やかな心持ちでペダルを回して、先へ進んでいくことができました。大型車の煩わしい国道237 号などではなく、この道を選択して本当に良かった。

▲ 門別から義経峠への道

谷を詰めて、義経峠へ最後の直線的な登りは然程の苦もなく、平取町へ下っていきました。谷あいに突然最終処分場などが現れます。

下りきると国道237号。日勝峠を越えて道央と道東を結ぶ大動脈です。近年は道東自動車道が開通し、通行量も以前よりは減ったことでしょうが、それでも大型車や乗用車が間断なく駆け抜けてゆきます。
上り基調の道を少し走ると「二風谷南」の標識があり、風景が開けました。直線的に伸びる国道の両側は並木に彩られ、一面に緑豊かな牧草地が広がっています。
東西を丘陵に縁取られた真夏の谷は、下界から切り離された別天地のように、平和で伸びやか。国道を駆け抜けるバイクの爆音にも負けぬほどに、鳥たちの歌声が谷間に満ちています。
夏の森に満ち溢れる生命の気配。
この感じ、すっかり忘れていました。
かつて週末のたびマウンテンバイクで山道を駆けていた頃は、喧しいまでの鳥や虫達の奏でる音色に包まれて、山道を押し上げて行くのが至福のひと時でした。最近は、荒川サイクリングロードなど首都圏近郊や有名観光地のライドばかりが続いていたので、こんな感覚は久しぶりです。
遠回りして良かった。

▪️ ▪️ ▪️

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。引き続き、アイヌ文化の中心地・二風谷でのひと時を楽しみ、夕暮れの勇払原野を苫小牧へと向かいます。

※「週末北海道一周」のここまでの記録はこちらです。よろしければご笑覧ください。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録などを綴っています。
宜しければこちらもご笑覧下さい。


この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

アウトドアをたのしむ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?