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自分の感情を観察している

最近困っていることがあって、私は感情のコントロールがあまり上手じゃないと思う。それどころか、どんどん下手になっている気がする。

これは自分にとって、良いことでもあるし、悪いことでもあると思っている。「おまえに、良いニュースと悪いニュースがある」っていう、よくある映画の台詞みたいだ。

良いニュースだ。良いニュースは、自分の感情に素直になったことだ。

昔は、自分の感情を抑えたり、我慢したり、目を向けないようにしたりすることを、いまよりも努めて行なっていた気がする。何か嫌なことをされたら歯向かうとか、納得いかないことには抗うとかそういう、脅威から身を守ったり、守るために何か行動をすることはできた。でも、一番困るのは、自分の感情を人知れず自分で押し殺して、なかったことにしてしまうことだ。

例えば、疲れても疲れていないように振舞ってがんばりすぎたり、本当は何かを感じているのに、その感情がさも存在しないかのように消そうとしたり。そういうことをよくやっていた。なんとなく、「私がこういうことを感じるのはそぐわない」とか「私がこういうことを感じるのはなんだか恥ずかしい」とか、思っていたときがあった。

いまはどうだ。いまは以前よりもわがままになった。これは少し、悪いニュースだ。自分の感情に、以前よりもずいぶんと素直になった。だから、前よりもコントロールに体力を使う。馬車に乗って、馬を操る感じに似ている。

なぜこうなった。たぶん、大人になってからいろいろな人と関わるようになったり、喧嘩したり、思い切りぶつかったりした経験が、私の何かを爆発させてしまったようだ。大人になってからの方が、子供になっている。子供のときは大人になろうと努めるけど、大人になってからは油断すると子供に戻ってしまう。子供がどんなふうだったか知っているから。子供時代、上手に"子供"ができなかった私は、大人になったいま、思い切り子供をやりたくなることが時々ある。

自分が子供のようになってしまうとき、だからって私は思い切り子供をやっているわけじゃない。「本当はこういうことをするのはよくない、一応大人なんだから」と思うことができる。そう思いながら、感情が溢れすぎないように必死で抑えている。そして、いつもあまり上手に抑えられていないと思うけど。

この頃、自分の感情が溢れそうになったとき、外から自分を静かに観察している別の自分がいる気がする。感情が溢れないようにヒイヒイ言いながらおかしな顔をしている自分を、面白がって観察している自分がいる。あ、私はこういう時はこうなってしまうんだ、なるほどね、という具合に。まるで暴れ回る自分の感情を、それよりも大きな自分が手のひらの上でコロコロ転がして遊んでいるような感じだ。

私は自分がどうなっていくのか、何を感じていくのか、観察することにちょっとした面白さを感じているのかもしれない。いつも、いつ爆発するかわからない小さな"にきび"みたいなものをつつきながら生きている気持ちになる。それはとても刺激的で、しんどくて、めんどくさくて、でもやめることができない。だから私は困っている。でも本当は、困っていないのかもしれない。

こんな意味不明なことを書いて人に見られても、いいことなんて全然ない。でも、私はこうやって書いてしまったし、こうやって読まれてしまったのだ。なぜかな。

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