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海外旅行って、難しい!

ぐるぐると手に巻き取ったトイレットペーパーの横幅が、いつもより随分と細いことに気付いた時、「本当に海外に来たのだなあ」なんて実感がむくむくと湧いてきた。いつだってトイレットペーパーの規格の違いは、自分が国境を越えた事実を何よりも強く感じさせてくれるモノだと、普段より冷たい便器に腰掛けながらフランスの空港のトイレでぼんやり考えていた。

1週間と少し、休みを取って母と海外旅行に出かけた。目的地はフランスとベルギーだ。フランスで留学している妹と現地で落ち合って観光し、その後一緒にベルギーへ向かう旅程である。フランスは以前訪れたことがあるが、ベルギーは今回が初めてだった。ベルギーを選んだ理由は、正直、特にない。フランスから近い国で、なんだか「ベルギー」の響きが妙に良かった。あとは、ビールやチョコレートが美味しそう。理由はその程度だ。

今回は思いっ切り、観光目的の海外旅行である。食べる、飲む、観る、休む。遊びの旅行だ。旅行前、グーグルマップや妹のリコメンドを参考に、行きたい美術館や博物館を適当にリストアップした。私は旅行の計画立てがものすごく嫌いだ。できれば金を払ってでも他人に押し付けたいと毎回思う。しかしそうも言ってはいられないので、行きたい場所を幾つかリストし、旅に臨んだ。

フランスに着いて、リストにしたがって観光を始めた。美術館や博物館へ足を運ぶ。料理を食べる。街をぶらぶらする。観光客らしく観光クルーズに参加して、橋の上の人々に手を振る。ショッピングする。お土産を買う。

日常のことを忘れて「ただの外国人観光客」としてぶらぶらするのは、とても気楽だし羽が伸ばせる。しかし、2日間のフランス観光が終わりに差し掛かったとき、予想もしていなかった盲点が浮かび上がってきた。連日の観光でだんだんと出てきた、心身的な「疲労」と得体の知れない「虚無感」だ。

私は過去に何度か留学経験があるので、海外での「生活」にはある程度イメージを持つことができる。「生活」はたとえば、学校に行って、日々の買い出しをして、家に帰ったらご飯を作って、夜はゆっくりする、そんなルーティンが多くを占める。休日は観光に出かけることもあるが、何もしない日だってある。留学中は「生活」の中で様々な失敗やトラブルに見舞われることもある。しかし、滞在期間が長ければ、失敗を次に生かしてよりよいサヴァイブに向けて工夫ができる。トラブルだって、長い目で見ればいい土産話に変わっていた、なんてこともある。

ところが、観光旅行(側面にでかでかと「City Trip」と書かれた観光バスやクルーズ船に乗ったり、「地球の歩き方」に載っているレストランへ行ったりする“一般的な”観光旅行の話だ)は長期留学とは違い、いわば短期戦である。しかも、何かを学びに行くわけではなく、「楽しみに行く」「いい気分を味わいに行く」要素が強い(少なくとも私はそうだ、「どうかいい気分を味わわせてくれ」)。

「いい気分を味わいたい」と思って行った海外旅行でも、なぜか苦労がつきまとうことがある。言語がなかなか通じずに苦戦したり、買い物でレジのやり方を間違えてレジ係に怒られたり、ホテルが予約サイトで見た部屋ではなかったり、慣れない食事に胃がもたれたり。もしかして、短期間で異国の地に慣れ、さらに楽しむことは、実はとても難しいんじゃないか?失敗やトラブルに巻き込まれている暇はない。とりわけ、短期間でできるだけいい気分になり、素晴らしい記憶として残すことを目指す完璧主義者にとっては、なんと難儀なミッションか!

さらに、やれ「あの“有名な”美術館へ行くんだ」やれ「あの“有名な”彫刻を見るんだ」とリストを作ったとして、いざ切符を買って入場し、絵や彫刻の前に立ってみると、「へーえ、そうか」「ふうん」で終わることもある(何年か前にルーブル美術館でモナリザ画を見たときに、図らずも感じてしまったあの気持ち)。実際に今回の旅行でも、そんな「虚無感」を何度か感じてしまった自分に、少しがっかりした。「なんだ、絵のスタンプラリーでもやりに来たのか?」「美術館に、てまえの足跡をつけたら満足か?」そんな声が自分の頭の中で聞こえてきそうだったが、無視して次の美術館へ向かうのだ。

連日たくさん歩くので足も疲れるし、観光リストをこなすのも案外大変だ。思えば、今まで「留学」や「生活」が多かったので、最後にやったのを思い出せないくらい、「観光旅行」は久しぶりだった。

あれ。海外旅行って、難しいな。こんなに難しかったっけ?

フランスからベルギーへ向かうブリュッセル航空機の中で、そんなことを考えながら手持ち無沙汰に機内誌をぱらぱらめくっていた。観光地やイベントの紹介記事の中、目に留まったページ。『昨今のトレンドは、旅行に目的を持つこと』。

『....観光をするだけでなく、訪れた先で何かを学ぶこと.... 忙しい日々の中ではできない趣味や個人的な目標のために旅行の時間を使えば、新しいスキルを身につけて帰ってくることができる。』

そうだ。これだ。やりやがるな、ブリュッセル航空!と思いながらも、今回の旅行でつきまとっていた自分の「疲れ」や「虚無感」の原因がなんとなくわかった気がした。今回の旅行には、特別な目的がなかったのだ。

今までの旅行や留学には、はっきり示さないにしても、何かしらの目的があった。たとえば、言語を習得する、文化を学び感じる、ずっと行きたかった憧れの博物館に行く、留学中に見つけたお気に入りの場所や人を再び訪れる。

今回は完全に「観光旅行」をしに行くつもりだったので、それほど下調べをがんばらなかったし、なんとなく良さそうな美術館や有名どころへ足を運んだ。「そこへ足を運ぶこと」だけが目的になっていた。だから、いざ到着して絵や彫刻の目の前に立ったとき、あの「虚無感」が襲ってきてしまったのだろう。

でも、よくよく考えてみたら、私の旅行は幸運にも虚無ばかりではない。フランスの映画博物館では展示物の英語説明もなんとか読もうとがんばっていた。ベルギービールの醸造所では案内ガイドにあれこれ質問をしていた。きっと興味があること・好きなことだから、何かを学びたい気持ちが湧き起こったのだろう。そういう場所で撮った写真はたいてい枚数が多いし、きちんと何かをカメラに収めようとしていることがわかる。そして幸いなことに、記憶や写真と共に「楽しかった」の気持ちもくっついている。

旅行には、何も目的がないよりは、何らか目的があった方が楽しくなるのかもしれない。なんといっても、心に残るのだ。それは、大層な目的じゃなくてもいい。現地の言語でホテルのルームサービス注文に挑戦してもいいし、調べた美味しい郷土料理を食べ尽くしてもいいし、地ビールの飲み比べでもいい。なんでもいいけど、何かを。次に海外旅行をするときは、何か目的を持って行けたらいいかなと思った。それに気が付けただけでも、この旅行は幾分か素晴らしいものになった。

海外に行くとなると、それだけでとても輝かしいことが待ち受けているような期待が生まれたり、新しい自分に出会える気がしたりする。しかし、どこまで行っても、残念ながら自分は自分である。緯度と経度が違う場所に自分の身が一つ移動される、ただそれだけだ。旅行の思い出がどうなるかは、やはり自分次第なのである。

今回の旅行についてあれこれと書き連ねたが、けっして楽しくなかったわけではないようだ。というのも、旅行から帰ってきて仕事に戻ると、「ずいぶんと顔が晴れやかになりましたね」と言われてしまった。そうだ。「楽しい」の気持ちは、いろいろな感情の混合物でもある。少なからず、旅行から学んだ。

まあね、なんたって、美味いベルギービールが飲めたんだよ。

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