見出し画像

刺青みたいな人

シワだらけのばばあになって死ぬまでに、やってみたいことがある。刺青を入れてみたい。

2〜3ヶ月に一度くらい、とてつもなく刺青を入れてみたいと思うときがある。数年前から、刺青はなんかカッコよさそうだと思うようになった。たぶん、高校生の頃に好きだったバンドのメンバーが、身体の肌色が見えなくなるくらいたくさん刺青を入れてたせいだと思う。もし自分が刺青を入れるとしたら何を描くか、それもだいたい決まっている。

でも、刺青を入れるのはけっこう痛そうだ。私は、痛いのがとても嫌いだ。注射はもちろん苦手だし、ピアスも怖くて開けたことがない。痛いシーンが出てくる映画で奥歯を食いしばりすぎて顎を痛めたり、ヴィレバンで立ち読みしていた漫画本で失神しかけたこともある。

それに刺青を入れてみたとして、果たしていい気分になるかどうかはわからない。想像しているのと実際に入れてみるのとでは、きっと違う。(行ける温泉が少なくなるのも困る)

刺青にはちょっと憧れるし、やってみたいとは思うけど、私には刺激が強そうでまだ近づけていない。これからも近づけるかどうかはわからない、そんな世界である。

✳︎

ところで、世の中にも "近づきたいけど、刺激が強すぎて近づけない人"というのがある。少なくとも、私は勝手にそう考えている。

たとえば、周りに影響を与えている人とか、大きな飛躍を遂げた先輩とか、界隈の中でよく名前が挙がる人とか。そういう人たちは恐らく"すごい"ので、彼らに対して「ぜひ会ってみたい」「お話してみたい」「お近づきになりたい」と思うのはごく自然なことである。いわゆる、憧れだ。

でも、いざ実際に会ってみると、自分には刺激が強すぎたり、なぜか苦痛にも似た感情を抱いてしまったり、思っていたよりもいい気分にならなかった、ということが時々ある。あの人はすごいし憧れるけど、会ったり話したり、一緒に何かしたいわけじゃなかったんだ...と。私はそういう風に感じてしまう人たちのことを、"刺青みたいな人"、と心の中で呼んでいる。

想像したり眺めたりしていた憧れのフェーズを越えて実際に触れると、「あれ、やっぱり憧れに留めておけばよかった」と思う瞬間は、大なり小なり誰にでも経験があると思う。

でもそうやって"刺青"を入れていかなきゃ、感じられない痛みや刺激があるのだろう。痛みを超えた先に、満足げな自分が待っていることも往往にしてある。痛みに耐えられるのなら、いくつも"刺青"を入れればいい。耐えられないのなら、入れるのをやめてもいい。それは自由だ、自分の身体だから。

はたして私が刺青を入れる日は、本当に来るのだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?