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この世は、すべての女のためには出来ていないから

吉玉サキさんの「理想どおりにモテなくてもさ」というエッセイを読んだ。「モテたい」と願う一方で、「ありのままの自分の姿」を貫くあまりにその願いが中々叶わない女性の姿が、皮肉と滑稽さを交えながら描かれていた。

自分の姿を重ね合わせながら、モテる人はいいなあ、と思った。

私は今まで、「モテたい」とか「ちやほやされたい」と思ったことは、正直あまりなかった。昔から恋愛体質ではなかったし、そもそも自分は恋愛には向いていないとも思っていた。恋人がいる友達はいたけれど、日頃からモテてモテて困っちゃうなんていう人を見る機会は中々なかったので、「いいなあ」「私もあんな風に」とか、そんな、指を咥えて心に火が付くようなきっかけも、なかった。(すごくモテる友達はいたが、ちやほやされるその現場を直接目の当たりにしたことはなかったので、いつも「へえー、いいね」で終わっていた)

モテる人には、やっぱり、綺麗な人が多い。

私はこれまで、特にモテる為の努力をしたことがなかった。だから、綺麗になりたいと強く望むこともなく、まるで殻を剥かれたゆで卵のように、そのままの、なんの飾り気もない「ありのままの姿」でこの歳までやってきた。

「不細工」と罵られたこともなければ、「綺麗だね」と言われた記憶もない。きっとものすごく平凡な、当たり障りのない見た目。だから、べつに無理して頑張る必要はない、そう思っていた。しかしそんな平凡の中でも、私は「冴えない」の部類の棚に置かれているんだなと自覚した、そんな瞬間があった。

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一年ほど前、とあるイベントに足を運んだ。たくさんの人がいて、そこには私の知り合いの女性もいた。

彼女は、とても綺麗だ。どこへ行っても必ず一目置かれて、彼女の周りには自然と人が集まってくる。必ず「お綺麗ですね」の一言が添えられ、彼女が去った後も「美人だったね」と賞賛は続く。私は、美人に基準があるかどうかを知らないが、彼女は誰に言わせても間違いなく、美人だ。無論、私もそう思う。

私は久々に再会した彼女と、立ち話をしていた。すると、近くにいた男性二人組がこちらに近づいて来て、話し掛け始めた。

男性たちの目の前には、たしかに彼女と、それから私がいた。しかし、彼らの視界に、私は完全に入っていなかった。まるで私と彼女のあいだに、突然つい立てが置かれたかのように、彼らは、彼女だけを見て、彼女だけに話をした。

とても楽しそうだった。

自分がまるで空気のように扱われるとは、こういうことを言うのかと、私は横で感心するしか術がなかった。彼らの目の端から、冴えないお前には用がないから彼女を独り占めさせてくれという、見えない視線が伝わって来た気がした。

私は、少し腹が立って、そして、悔しいなと思った。感情の矛先は、彼女にでも、彼らにでも、自分に対してでもない。この世は、すべての女のために出来ているわけではないという、抗うことができない構造を突きつけられ、認めざるを得なかった。私はその事実に屈するしかなかったのだ。初めて抱く感情だった。私も、こんな風に屈辱を感じる人間だったのか、と。

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どんな綺麗事を並べても、結局最後は容姿が淡麗な方が、物事は上手く進みやすく、良いものも集まりやすいと聞いたことがある。もちろん、見た目がすべてではないし、無理して自分を作り込むのが良いとも思わない。「ありのまま」の姿が悪いわけでもないし、むしろ最近では「ありのまま」は助長されている。あなたが「ありのまま」に満足しているのならば、それは文句なしだ。

しかし、マイウェイを貫きすぎた結果、望む結果が得られなかった者が歌う「ありのままで」は、それは残念ながら、惨めな負け惜しみにしか聴こえないのかもしれない。

今まで私は、綺麗になる努力をすることや、理想像を追うことは、なんだか自分の「ありのまま」を偽ることのように感じていた。でも、それは偽りの行為なんかじゃないと、最近やっと気付くことができた。強情な私は、「綺麗になりたい」「もっと良くなりたい」なんて、小っ恥ずかしくて、口に出したこともなかったのに。

好きな人が他の女を目で追う時、私もその女を目で追いながら「いいなあ」「私もあんな風に」と、いつしか思うようになった。

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美しい人に「綺麗の秘訣はなんですか」と尋ねてみた。綺麗だからどうせ「何んにもしてないですよお」とでも答えるんだろうなと思っていた。

でも、その人の回答は、日頃から「美」への小さな努力を惜しまない内容だった。ああ、綺麗な人がもっと努力をしたら、そりゃあ敵わないなと、打撃を喰らった。綺麗な人でさえ努力を惜しまないのに、冴えない者が努力もしなければ、あとは堕ちていくだけである。

綺麗になろうとすることや、モテるために努力することは、悪いことでも、皮を被ることでも、自分を偽ることでもない。自分をより良い状態にアップデートする、ただそれだけのことである。そんなの誰しも、今よりも良い状態になった方がいいに決まっている。なのに、私はいままで、自分なんかがそんなことしても仕方ない、そのままでいいやと、恐れていたんだろうか。

しかし、恐れることはないのだ。だってこれは、すべて自分のための行いなのだから。

見た目がすべてじゃない、このままでも十二分に素敵、ってのも悪くない。でも、より良いアップデートをして、いつか冴えなかった自分の抜け殻を嘲笑いながら、随分と渡りやすくなった世の中を謳歌してやっても、大きなバチは当たらないんじゃないかな、と思う。

この世は、すべての女のためには出来ていない。だったら私は、冴えない私は、少しでもこの世が私のために動いてくれるよう、ちょっとくらい努力する必要があるのだ。

だって、いつか努力した分だけ、今よりちょっと良い未来が待っててくれるなら、それって悪くないじゃない?

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