見出し画像

断捨離って、いいことなのかな

秋らしい気持ちのいい天気がようやくやってきた〜、と思ったらここ最近でぐっと気温が下がった感じです。関東は今日も晴れです。

とりとめのないことを書いているこの日記でも、誰かに読んでもらっているということを考えれば書くネタか、書きたい意欲がたまらないとなかなか更新できないもので。
子育てを始めるとネタはたくさん出てくるんだけど、体力と時間がなくて書けないって状態になるね・・。そして気づけば、「なにを書きたかったのか、オレ・・・」となる。


最近のできごとを羅列するならば、
・引っ越し準備着々進行中
・どんな外出でも母子手帳は必携!?
・止まらない物欲。なぜ。
・風邪をひきました

新聞の見出しのようだ。

引っ越し準備着々進行中

リフォームも今月には終わるということで、ついに来月お引越し。
引越し業者を手配し、荷物の整理・梱包から、家財の処分を始めた。それとハウスクリーニングの手配。我が人生、結構引っ越しはしてきた方だと思うが、何度やってもめんどくさい。今回の引っ越しは2年ぶり。それでも、どんな手続きが必要なんだっけ??となるし、前回の引越しの際に捨てたことを忘れ、「あれ、あれがない!!嘘ー!?」と慌てちゃうわたし。躊躇なくものを捨てていく方なんだけど、そういう時に後悔しちゃう。


4年前に買ったパーソナルカラー診断用のドレープ、かさばるし重いし、どうしようかな〜・・。

大学時代にスウェーデンで買った、思い出のオーナメントが紛失してはや5年。(前回の引越しの時点で、どこに行ったのかわからなくなってしまった)捨てたはずはない!けど、どこに行ってしまったの・・・。


と、捨てるか捨てないかの判断は慎重になった方がいいなと改めて思うこの頃。そして考えれば考えるほど、“モノを持つ・持たない”ということよりも、問題の核心は“どこになにがあるかを把握していない”、ということなんだと思えてきた。最近『マッキンゼー流〇〇』の本を読みあさってるので(笑)、本質的な問題というのをわたしは見つけたいぞ・・!

どんな外出でも母子手帳は必携!?

ついこの間、カーテン選びにショールームに行ってきた。しかし、途中から我が子ちゃんはぐずり始め、ついに顔を真っ赤にしてギャン泣き。おっぱいをあげても、オムツを替えても泣き止まない、「お腹を痛がってる様子は?」と聞かれても乳児がお腹痛がる様子って、どんなん!?とわからない。こんな状態は初めてだったので、両親ともに焦りと不安にかられ、病院に行った方がいいのか?となった。しかし、外出グッズにうっかり母子手帳を入れてくるのを忘れてしまい・・。

週末のちょうど正午ごろということもあり、もうそこからは医者に連れて行くかどうか迷って、正常な思考判断もできず、なにをどう考えたかはさっぱり覚えてない。

そうこうしてるうちに、夫が抱っこして外をぶらついたことで落ち着いたので、ひとまず一件落着になった。


ミルク、おむつ、着替え、に比べて、どうしても使用頻度の低い母子手帳は忘れてしまう傾向にあるわたし。(と夫!) 「外出先で医者にかかるような事態なんて、そうないよね」という油断だ。自分のことならまだしも、自分で自分の意思を伝えられない赤ちゃん、しかも免疫もまだ弱い生き物を守る責任は自分にあるのだから、と反省しました。

しかし、なにが言いたいかっていうと、子供連れって荷物多いなーっていうこと。それにまだ慣れないよ。

食欲の秋、よりも、今年は物欲の秋

引っ越し準備のくだりから、「反省してないな、オレ」と突っ込みたくなるけども、物欲が止まりません!!
あまりにもどんどん出てくるので、A3の裏紙に書き出すことで冷静になろうとしている。すでに2枚目も終わりそう・・。

・欲しいもの
・価格
・いつ使うのか(緊急度・頻度)
・なぜ欲しいか
・代替物はあるか
・懸念事項(デメリット)

を、それぞれ書き出していくことで、“今が買い時ではない”、“これはポイントで買おう”、“これは我慢だな”と冷静になれる。そして何よりも、どんどん欲しいものが出てくることで、最初に書いたものたちが「別にいっか。」となるのだから、それは本当に欲しいモノどころか、必要なモノではなかったということがわかる。

今も頭の中でパズルのように、これはこのポイントを利用して、あれはこっちのポイントを利用していつまでに買う、、ということを考えている最中。

余計なものを持たないということは、余計なお金を使わずに済むということだけど、じゃあなにをもって“余計”と判断するのか?
断捨離術で“2年着なかった服は捨てる!”とか、“『欲しい!』という気持ちが三日続いたら書います”なんていう人の意見を見ると、「人によって判断するのに必要な時間軸はこうも違うのな〜」と、なる。服に限らず他の雑多なものも含め、何年も使用することが無かろうが、ある時ふと、「これ使える!」となることもある。断捨離という考え方が好きじゃない夫を見ていると、それがわかる。

彼はなかなかものを捨てない。捨てないけど、整理するのは上手い。だからなのか、どこになにがあるかを(あれだけものを持ってても)、大体把握している。もちろん、整理収納はしておいた結果、これやっぱいらないね、となることもある。なにを持って、無駄とみなすかだけども、いざという時には“持っている”人の方が役に立つような気がする。そういうモノもある。


そういう視点で考えると、わたしは本当に無駄なものを買う人間なのかもしれない。
何の役にも立たないけど、壁を彩る絵や飾りが好きだし、オシャレも大好きだ。きっとこういうものは生活で“必ず要る”モノではないんだと思う。スマホ用の三脚だって、使う頻度はそんなに高くないだろうし、使わなくなる可能性を考えたら、それは無駄な買い物になるのかもしれない。自分の字が綺麗じゃないから、書いたいなーと思ってるテプラも、結局自分で書いた方が早いよね、となる気もしている。

買い物はこれまで使っていたものが使えなくなったから、買い替えのために買うケースと、これまで使ったことがないけど(から)買いたいケースがある。
前者は必要性がわかりやすい。一方で迷うのは後者。そしてわたしがリストアップしているもののほとんどは後者。これまで使ったことがないから、ある種の博打。
ということで、ちょっとでも冷静になるためにリストを作ったわけです。うんうん唸理ながら、上の観点だけでも選べないモノが残った時に、こういう視点で考えたらどうだろう?というのを思いついた。


・欲しいもの
・価格
・いつ使うのか(緊急度・頻度)
・なぜ欲しいか
・代替物はあるか
・懸念事項
・それを買うことで、何かを生み出すことにつながるか
・そのものを買った先に描く生活(未来)がよりワクワクするか


例えばですね、わたしが今欲しいものの中に、テプラと長谷園のかまどさん(土鍋)があったとします。それぞれ買った時に、“それは何かを生み出す物だろうか?“、“それを使った生活を思い描いて、どっちがワクワクするかな〜”と考えるわけです。きっと、わたしは土鍋を選択するでしょう。
土鍋で炊いたご飯、絶対美味しい。これで毎日美味しいご飯を作ってあげたい!という絵が思い描くことができる。

例の2つは欲しい理由も懸念事項も違う。どっちを買っても、思ったより使わなかった、という可能性はある。買ってみて使わないことにはわからない。こうなったら、起こるかどうかわからない不安材料よりも、買う時点で、そこから始まる新しいストーリーを思い描ける方が買い!ではないかと、母ちゃん思いました!(ストーリーとかいうとかっこいいよね〜)




こうして結局、マッキンゼー流の思考にはなかなかなれないぜよ・・と思うわけです。まあ、今からロジックツリー書いて検証してもいいけど。紙が足りないよ。ほらね、必要なものが必要な時にないから、なにが余計かっていうのはわからないわけ。

後半、まるで落語のような終わりになりました。お後がよろしいようで(笑)
みなさまよい1週間のスタートを切ってください!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?