限界かも

いっぱいいっぱいになって過呼吸を起こして泣いた。
昔の自分は、今の自分より大切なものが少なかった。自暴自棄で、いつでも死んでやるって気持ちで、自殺未遂も何度もしたし 死が何よりの希望だった。

今までなんでか生きてきて、少しずつ大切なものが増えて、人間らしい生活をしていくうちに 死ぬのがすこし怖くなった。
ずっと死ぬのは怖くなかった。自死以外は少し怖かったけど、自死はただの希望だった。

さっき、自分の限界を感じたとき、死ぬのが怖いことにはじめて気づいた。縄を自分の首にかける想像をしたとき涙が出た。
大切な猫の顔が浮かんだ。人間はどうであれ、きっとこの子たちは純粋な気持ちでわたしを愛してくれている、必要としてくれていると思ったら、死ぬのが怖かった。無責任に死ねない恐怖に気づいた。

今これを打ちながら、ぼたぼた泣いている。

死ぬのが怖いのに、=生きたいではない。
生きていたくなくて仕方ないのに、死を選べないことがなにより苦しい。宙ぶらりんな状態というか、わたしの救いはもうないのだと気づいてしまった。

どうにか、藁にもすがるおもいで、入院を検討しているけど あまりにお金がもったいなくてどうしてもできる気がしない。
パートナーと猫たちに会えない生活でやっていける気もしない。
そんな入院をして意味があるのだろうか?と思うと、何も、何も意味がないような、。

じゃあ今の私は何をしたら救われるのだろうか。
何がわたしの救いになるのだろう。
時間経過が解決するのか?でも、波はあれどもう18年くらい、ずっと、ずっと苦しいじゃないか。
いつまでこの気持ちと生きていくんだろう。

確かに、楽な時もあったよ。
元気な時も増えた。
でも、全然、寛解とは程遠い。
ずっとずっとずっと苦しいまま、波があるだけ、いい時があるだけ。ずっと苦しいじゃん。

もうわからなくなってきた。脳みそがぱんぱんで、助けてって言っても誰も助けられない。スーパーヒーローはいない。万能薬は、特効薬は、ない。

苦しい。
涙がぼたぼたぼたぼた、水分が足りなくなってしまう。
だれにも必要とされてないと思って悲しくて泣く、それでも必要とされてる事実が後ろ髪をひいて死にもできない。私がしんだら悲しむ人間がいる。わかってる。悲しませたくない。苦しい。わたしが生きていたら迷惑をかける。それでも死ねない。なんで、なんで、どうしたらいいの。好きで障害があるんじゃない。なんでもできる自分になりたいよ。働いて、家事もして、人の役に立ちたいよ。

何も考えなくていいところへ行きたい。
現実じゃないところ。
醜い自分を、自分が受け入れられるところ。
すべての苦しみがないところ。

そんなとこないのに。

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