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嫌われる人

同年代の好きな作家(文筆家)の方がいて、過去の作品も結構追っていたのだけど、その人は自分がどういう人間が嫌いかということをよく書いていて、ああ、私この人が嫌いと思うタイプの人間だなあということを毎回感じてだんだんその人の文章を読めなくなっていった。この作家の方をTさんとしよう。

また別の作家の方、私が7年くらい好きだったNさんが、Tさんのことを絶賛するようになって、Nさんの文章も読めなくなっていった。Nさんはあからさまにどういう人間が嫌いかということを書いたりはしないけれど、たぶんTさんと近い考えなんだろうなあということは薄々思っていて、その気持ちがより強くなっていった。

ここまではもう3年くらい前の話なのだけれど、今日また別の(私の好きな)人がTwitterで同じようなことを言っていて、今感じていることを書きたいなと思った。

みんなが言いたいことはすごくわかる。距離感のおかしな人には近づかない方がいい。おおくの人が成長過程で自然に身につけていく、人との適切な距離感、それを掴むことを取りこぼしてしまった人は、たぶん生きていく上でトラブルも多いと思うし、人を不快にさせることも多々あるだろう。

まず、「自分って周囲の人と適切な距離感を保てていないんだ」と、自分一人で気づくことが困難だし、親切に教えてくれる人に出会うことも難しいし、教えてもらったところで素直に受け止められるとは限らないし、素直に受け止められたとして、そこから克服していくことっていうのは本当に難しいことだと思う。

でも、そういった人って、先天的に距離感を掴むことが苦手なことがたぶん多いんじゃないかと思っていて、だからその性質は本人のせいだけじゃないんだよっていうことをすごく思う。そして自分で「なんか私間違っているな」と気づいても、治していこうと思ったら本当に長い道のりを歩かねばならないのだと思っている。

だから真っ直ぐに、「距離感のおかしい人に近づくな」みたいなことを言っている人をみるとほんとうに悲しい。合理的な生き方として、嫌な思いをしない方法としては正しいと思うし、そう人に推奨したくなる気持ちもすごくわかる。だから私も、そう言っている人には近づかないようにしなきゃとすごく思う。その人がたいせつに思う人たちにも。

私も子どもの頃〜10代、20代、30代前半くらいまでを振り返ると、今の自分はそういう人たちからの嫌われる要素も少しずつ少なくなってはきたんじゃないかと思っている。

私の中ではものすごくましになったし、とても生きやすくなってきたなあと思っている。だから、自分と同じようなことで悩んでいる人の気持ちは何となくわかる。わかるというのもおこがましいかもしれないけれど。

私はとても生きづらい人生だったし、人にはそうやって嫌われるし、いまだにとても傷ついたりするし、人に対して申し訳ないと思うこともほんとうにたくさんあるけれど、でも、今こういう気持ちを持てる自分と、人生で全くこんな気持ちを持たないで生きてこれた自分がいたとしたら、前者でよかったなあとは思っている。迷惑をかけてきた人、今もかけている人には申し訳ないけれど。何かで返していきたいと思う。

「距離感のおかしい人に近づくな」という言い方をされると悲しいなあという気持ちと共に、すこし怒りの気持ちもある。この人はどうしてこんな行動をとってしまうんだろうというところに、少しだけ思いを馳せてくれたらいいのになあと思う。近づかなくていいし、避けていいし、不愉快だなあと思って全然いいと思うけれど、おおやけに、こういう人間に近づくなと言わなくてもいいんじゃないかなあと思う。思いを馳せることができたら、たぶんおおやけに言いたい気持ちってなくなるんじゃないかなあという気がしている。

これはすごく定期的になる気持ちで、もっと丁寧に書きたいなと思うのだけれど、とりあえず思いつくままに書いてしまった。

いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。