もっと愛を伝えたかった。

わたしが所属しているコルクラボには、毎週月曜日に「今週のお題」が発表されて、メンバーがそれぞれに思いをクローズドの掲示板に綴るという風習みたいなものがある。

今月は「決断」というテーマのもと、様々な角度から自分の決断について考えるお題をもらっているんだけど、先々週くらいのお題が「あなたが今でも悔やんでいることは?」というものだった。

みんなの回答を読んでみると、意外と悔やんでいることがない人が多いみたい。そんな中、わたしにはすぐ思い浮かんだエピソードがひとつある。

わたしが今でも悔やんでいること

今でも悔やんでいるのは、亡くなったおじいちゃんとのこと。

うちのおじいちゃんすごく温かな人で、いつも「ひかりはすごいなあ」、「ひかりはたのしそうでいいねえ」って大きな笑顔でわたしの話を聞いてくれる人だった。

おまけに、昔の人にしては高身長(たしか178センチくらいあった)で、顔もかっこいい。だいすきで、だいすきで、だいすきだった。

でも、わたしがまだ大学生のときに、パーキンソン病っていう少しずつ身体が思う通りに動かせなくなる病気になってしまって。

さいごは病院で過ごしていたんだけど、お見舞いにいく毎に、おじいちゃんは、やせ細っていって、表情がなくなって、喋れなくなっていく。

だいすきな人に死が近づいているのを目の当たりにするのは、ちっぽけな表現しかできないんだけど、心がすごく哀しいことだった。

もう十年近く前のことなのに、いま書きながら涙がでてしまうくらいだから、当時のわたしも病室でおじいちゃんに会う度に涙が溢れそうになってしまったんだけど、「ここでわたしが泣いちゃダメだ、おじいちゃんが哀しむ」と思って、おじいちゃんの家で過ごしていた時と同じように、にこにこしながら話をするように努めていた。

それでもふとした瞬間に、涙が溢れそうになってしまうから、急いでトイレにいっては、声を殺しながらひとりで泣いた。

だから、おじいちゃんの前で泣いたのは、おじいちゃんが死んでしまってからだったと記憶している。

前置きが長くなったが、わたしが何を悔やんでいるかというと、おじいちゃんの前で思いきり泣けばよかったなあって思ってるのだ。

「あなたのことがだいすきだから、いなくなってしまうことがかなしい」って伝えればよかったって。抱きしめればよかったって。

これはもう、わたしの自分勝手なエゴでしかないんだけど、おじいちゃんから本当にたくさん愛をもらったから、わたしももっとおじいちゃんに愛を伝えたかったんだよなあ。


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