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芝浜

「よそう。また夢になるといけねぇ」

 最近、農作業中のBGMとして落語を聞いている。落語なんてぇものは、じじいが楽しむもんでぇ。なんて思っていたのだが、頭の中で江戸っ子口調を使っている時点でもう落語の世界にどっぷりと浸かりつつある。

 なんとなく落語を見てみたくて、YouTubeで一番はじめに見た落語が、冒頭に出てきたオチが有名な「芝浜」という演目だった。立川談志師匠の芝浜を見たのだが、どうにもこうにも涙が止まらなくなってしまった。笑いながら泣いてしまうのだ。情緒がおかしくなり、早めに更年期障害が来てしまったかと「若い 更年期」と検索しようと思ったほどだ。

 そもそも、芝浜という演目がどんな内容かってぇと…

大金を拾った亭主に対して、女房は「夢でも見たんじゃないの?」と一芝居打ち、亭主を改心させ、酒浸りの生活から更生させる

という、古典落語の人情噺のひとつである。冒頭のセリフは、借金を返し終えた女房が酒を絶った亭主に向かって「お酒を飲もう」と誘ったときの亭主の返しの言葉である。私がなぜこの話を見て泣いてしまったかというと、この話が他人事とは思えなかったからである。二役している談志師匠が私とひかりに見えたくらいだ。

 

 今から10年ほど前のまだまだ寒さが厳しい2月のことだった。

 妻ひかりと同棲を始めて2日目に、私は野菜組合の研修旅行が入っていた。普通であればわざわざ同棲を始めて2日目に旅行など行かないのだが、当時その組合の役員を務めていたため、どうしても旅行に行かないわけには行かなかった。当時30妻の青年からすれば、腰の曲がった80歳のばばぁ30人ほどと一緒にいるよりも同棲を始めたばかりの恋人と一緒にいる方が幸せだと言うことは、誰でも同じことを思うことであろう。どんなに血気盛んな青年だって数よりは質をとるのである。

 しかしながら、旅行というものは人を開放的にするものだ。バスに乗って高速道路に乗った瞬間にプシュッと缶ビールを開け、ばあちゃんたちがお菓子やみかんなどを配ってくれたりなどすれば、どうしたって開放的にもなるというものだ。そこに温泉と宴会が続けば同棲2日目ということなど忘れて30人の80歳のコンパニオン(ばばぁ)に囲まれていい気になっていた。

 普段は絶対に歌わないのだが、ばばぁたちにおだてられて歌でも歌おうかと思った矢先、ひかりから電話が鳴った。「はいはい、寂しいよね。今声を聞かせてあげるからね」などと悠長に電話を出たのだが、その電話を出た瞬間、私の心は凍りついてしまった。ヒマラヤの氷河が壊れてインドに大洪水が起こっているとニュースで流れていたが、その電話一本で氷河を再び凍らすことはいとも簡単にできるというものだ。

かずゆき「もしもし、どぉ〜したぁ〜?♡」
ひかり「もしもし、なんか電気がつかないんだけど」
かずゆき「えっ!?(汗)」
ひかり「ストーブもつかなくてめっちゃ寒いんだ」
かずゆき「・・・。」
ひかり「なんでつかないんだろ?」
かずゆき「・・・電気代払ってなかったかも(凍)」
ひかり「そうなんだ。わかった。楽しんできてね」
ツー、ツー、ツー…。

 この電話を切った後は、どうにも酒を飲める精神状態ではなかったのだが、どうせ飲んでも飲まなくても迎える未来は変わらないのだ。いっそのこと記憶がなくなるまで飲んでしまえばよかったと今では思う。 

 なんとなく同棲する相手が貧乏だったことは知っていながら一大決心をして我が家に来たひかりであったが、仕事を辞め、アパートを引き払い、なんならたくさんの方から送別会をしてもらった以上、そこに帰ることはできないであろう。そんな一大決心をした2日目に予想していた100倍の貧乏を思い知らされたのだ。パラシュートなしでスカイダイビングをしているような気分であっただろうことは容易に想像ができる。

 あれから10年が経ち、夫婦二人三脚で一生懸命になって働いた。今ではこんな話も笑って話せるほど生活は安定しているし、学生時代に借りた奨学金も繰上げ返済で返し終えた今、古典落語『芝浜』の「3年後」と同じような境遇にいる。

 ただ「芝浜」とひとつ違うことと言えば、いまだに「今までの人生、夢だったらよかったのに」と思っていることだ。まだまだ私の努力は足りないようだ。

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